はてなキーワード: 国技とは
わかるよ。
プロスポーツであり、しかも「伝統ある」「国技」の「横綱」たるもの、相撲に対して半端な取り組み方では困るんだよね。
むしろ半端な取り組み方しかできなくなったら横綱をやめなければならない(=力士を辞める。横綱は下に落ちれない)くらい厳しい世界だし。
そういう厳しいレイヤー上の話を、普通の人が生きている生ぬるいレイヤー上で語っても筋が違う。
彼らはまさしく「違う土俵に立っている」し、その土俵にはその土俵のルールがある。
横綱ってあれこれ資格が厳しい代わりに、ものすごく金銭的な見返りが大きい。だからみな横綱になりたがるし、モンゴルから出稼ぎにきてるんだろ。
こうるさいことをガタガタ言われる上での高給であり、それが守れないならサラリー減らすよ(=土俵に立たせない)ってだけのこと。
彼らは自由人ではない。相撲界という会社の社員で、その会社は、上に行けば行くほどものすごく金が手に入るけど、旧態依然とした厳しい会社だったのさ。
正直、タイトルはただ書いてみたかっただけ、という部分もあるがw
唐突に、
例えば、iPodを買って国産mp3プレイヤーの在庫を山積みにすることが、結果的に愛国的行為になっているのではないか?
とか
YouTubeを見てJASRACを困らせることが、結果的に愛国的行為になっているのではないか?
とか思ったんだな。
昔、PC98シリーズが国産市場を独占して政治利権が技術革新を押さえ込んだ結果というのは、結果的に売国行為だったのではないか?
とかね。
技術はウソをつけない。曇り無き眼で、良いデザイン、良い機能、良い性能の商品を買うことは結果的に愛国的な行為なのではないだろうか。センスの良い買い物をして、絶え間ない技術革新を促すことによって、独占市場による政治利権化を防ぐ・・・までは行かないにせよw、何かしらの効果は見込めるのではないか。
もちろん、良い商品だったら、国産を買うべきだと思う。