はてなキーワード: 印象操作とは
岡田斗司夫「メガマックは4つに切って3つを捨てて食べれば痩せる」
この記事を読んで非常に気になった事がある。
おそらくこの日記を見た人は上の記事を「なんて事を言うんだ」と思って開いたと思う。
元のスレッドで議論している人もそう思って書き込んでいる事は想像に易い。
だがZAKZAKの記事には「メガマックは4つに切って3つを捨てて食べれば痩せる」なんて書いてないし
記事の要約ですらない。
文脈からすればそもそも無駄に食べ物を買わない癖を付けるために作ったルールのように思える。
少なくとも
「メガマックなんて全部食べるような物じゃありません。1/4食べたら捨ててますよ!」
等と言う意味では言っていないのは分かると思う。
視点は違えど結局マスコミとやってる事は同じだ。
某ブロガーの口癖に気がついた。この人、結構憶測でものを言って、そのくせ自分の希望的観測を混ぜてるので論旨があまり論理的でなくって、その辺が実は内心後ろめたくって、自分で自分の言葉に確信が持てないことの裏返しなのかと思うけれども、やたら
??ていう感じですかね。
で語尾を〆る。誰に同意を求めているのか、「感じ」という単語を挟んで曖昧に自分を許容してもらいたがっているのか、こういうのも集団思考のツールのひとつなんだと思う。みんなを自分にとって好ましい「空気」に取り込みたい、その「空気」を誘導したい、そして自分もその「空気」に属したい、自分の考えというものがなくて、だからそれを確固とした主張として展開する意志もなく、みんなで当たり障りがない所に落ち着きましょう、とコーディネートしようというのか仲介しようというのか、とにかくまず、党派的に同調したい。身内で連帯したい。そういう意図があって、各関係者の言い分を予めマッピングして、「今日の自分はとりあえずこのポジショニングで話してみようかと思います。本気だとは限りませんからほどほどに読んでね」と保険をかけないと不安なのか。
さて、話を変えるが、あるいはつながっている可能性もあるが、
サヨク的な人って、「自分はサヨクじゃない」と言いながら、傍から見たらしっかりサヨク的市民運動の行動文法の伝統を受け継いで党派的に動いて情報操作に精を出すようなのはなんでだろう、と思っていたが、これはどうも、まず信条的にその人がサヨクでそれを実現するにあたって後からそういう行動をとるんじゃなくって、なにより先にリベラルぶって自分を良心的であるとか正義であるとか思いたい、自己愛を満たしたい、そのためには情報操作も、印象操作も辞さず、ボロが出るまでは突っ走ります、知り合いはかばいます、ダブスタも使います、そういう人が左に流れていきやすいという面もあるだろう。