「フェルメール」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フェルメールとは

2008-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20080417132720

そ、そ、仕事用のソース芸術性なんてなくていいから可読性あげてくれっていう話。

こいつは人のコードを見て感動した事が無いのか?

酷いが極まって感動に似た感情を抱いたことはあるよ。

理解に苦しむからな。多分感動の度合いでいうと酷いほうが自分は感動する。

ソースを見ながらしばらく心奪われるよ!

もちろんね、綺麗でずばっと切れるロジックとかをみると感動することもあるよ。

感動とおりこして畏敬の念を抱くこともままある。

でもさ、それが芸術かっていうと違うんじゃね?

あるいみ技巧が駆使された形式美のコード芸術にはなりうるけど、

コードコードを見せることによって表現するものじゃないからな。

例えばベタ芸術とよばれている絵で考えるよ。

油絵とかでフェルメールが絵の具に貝殻混ぜたとしてもその過程を芸術とはいわないだろ。

コードはあくまで表現の過程でのただの手段じゃん。

もちろんね、ソースコンテストみたいに、ソースを見せ合うことが最終目的になっている場合、

コード芸術という言い方もあっているかもしれないけどね。

ソース芸術に据えちゃうのはどうなのよと思うな。

そりゃ優秀な絵の具職人はその成果物(絵の具)が芸術にまで列せられていいかもしれないが、

普通芸術家だったら、あくまで描きあげた物で勝負するんじゃないかな。

ま、いいものをつくるためにはディテイルにこだわらなきゃならんので、こだわるのもわかるんだけどね。

オレはソースそのものが知と実用性の混じり合った一つの芸術だと考える方なので、残念ながら自分の愛せない言語・・・特にPHPでは絶対やりたくない。

これをひらたくいっちゃうと、PHP芸術性を感じないってことだとおもうんだけど、

「僕は油絵を書きたいから水彩絵の具には芸術性を感じない」

このレベル方向性の違いなだけだと思うよ。

で、水彩絵の具に芸術性を求めるのかよ・・・と思ったわけ。

2007-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20071225184745

両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。

ただの悲惨な話だよ。

つうか最終シスター四方木田の「無知な!」の一言に尽きる。

ルーベンスの聖体降架で満足して昇天て! レンブラントフェルメールも見ないなんて! 

冤罪にしてもいくらでも身の潔白は証明できるし、司法は何やってたんやっちゅう話ですよ。

そもそも孤児を村八分って共同体としてあり得なくない?

ネロネロ借金でも物乞いでも盗みでもなんでもやってサバイブしろよ。

自尊心で凝り固まったイヤなガキにしか見えん。

まぁ、そもそも原作から世界名作劇場への変換時点で大量の翻案があったわけで。

原作だとネロ15歳なんだよなー。さらにクズですわ。

欧米で支持されないのも当然の話。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん