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学習塾での小6刺殺、元講師に懲役18年…京都地裁http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070306it03.htm?from=rssに対する、一般の現代日本人の反応は、以下の通り(mixi日記より引用)。
[1] まりっぺ@もったり
あたしいっつも思うんですけどね、直ぐに刑事責任能力の有無で精神鑑定、とかやられたら頭に来ますよね。
刑事責任能力があるにしろないにしろ、人殺したのは事実なんですから。責任能力がなかったら人殺しても無罪なのかと。
例えば酒飲んで泥酔してなんかして、責任能力を問われたら、そもそも泥酔するまで酒飲んだのは本人なんだから、その時点でさらに刑を加算すべきなのでは?二十歳すぎてる大人なんだからさ。泥酔するまで飲むなよ、っていう。
[2] ルーファ(電波受信中)
やはりまた精神衰弱で逃げ。
つーか人一人殺して求刑が無期っていうのもどうかと思うが。
その他にもたくさんあるが、どれも似たような話。全員が全員、「精神病だから量刑が軽くなる、あるいは無実になるのはおかしい」との話。いつものことですね。
まず1つ言っておくべきことは、1件の殺人事件では、私利私欲の為の残虐な自己中心的犯行と見なされない限り、懲役18年は普通の量刑であり特別軽くはない。これすら知らずに適当なことをいい連ねられる頭の悪さにまず萌えますが、それはおいておいて。
そもそも懲役・禁固(というか刑罰全体)の意味はなんなのか考えたことがあるのでしょうか。被害者の恨みを晴らす為の報復ですか?それは刑事罰ではなく民事賠償です。刑事罰の意義の1つは、"正常な思考が出来る人への抑止力"。もう1つは、"法を犯した人間の反省と更生の機会"です。つまり、その罰を受け、刑期を過ごすことで、反省と更生を望める人でなければ刑事罰はそもそも意味が無く、ただの人権侵害による報復攻撃に過ぎなくなります。
精神病患者はどうでしょうか。そもそも正常な思考が出来ない状態の人を閉じ込めた所で、その人の状態が改善するはずはありません。単に、周囲の人間を守る為の隔離に過ぎません。精神病患者に必要なのは治療です。当然、自傷他害の恐れがあるうちは、閉鎖病棟に隔離する必要があります。これによって、周囲の人間を守ることは出来ますし(医療従事者は危険に晒されるが、それが仕事)、本人の治療に依る反省と更生が望めます。
よって、正常な思考が出来る人が罪を犯した場合に必要なのは、懲役・禁固による反省と更生であり、精神病患者が罪を犯した場合に必要なのは、治療であるはずです。正常な思考が出来る人を薬漬けで隔離病棟に入れた所で何の意味も無い行為ですし、その逆もまた然りです。もちろん、信頼出来る(公平に機械的に判断出来る)精神科医が精神鑑定をしっかり行い、誤診を起こさないようにする必要はありますが、それは医療過誤関連になる話で、また別な問題です。ここは理想論的ですが、本来の意図はこうであるはずです。死刑や終身刑はまた異質であり、一般刑事罰とは一線を画すモノです(抑止力が主)。だから簡単には確定しないし、議論もなされている。
弱者(被害者)を擁護し、ヒーロー気取りになるのは勝手ですが、"精神病には自分はならない"と考えるのは間違いです。
常に頭の中で声が聞こえる。周囲の全ての人間が自分に対して悪意を持っていて、影で悪口を言っている。自分の悪い噂を広めらており、そのせいで自分は回りと上手くコミュニケーションが出来ないだけでなく、買い物すらまともに出来ない。世界のすべてが、その噂に従って自分を監視・盗聴している…統合失調症患者が抱く思想(真の意味での妄想)としては珍しくありません。こんな状態に陥って、目の前の人間がその首謀者に見えたとして、暴力を振るわないでいられるでしょうか。おそらくこのニュースに対して、攻撃的なコメントをした人間には無理でしょう。そしてそんな状態の自分を懲役刑にしたところで何か意味があるでしょうか。刑務所の中でも周りの人間全てが敵に見えているのです。暴れるか自殺するかしかないでしょう。更生など望めるはずもない。
ちなみに統合失調症は珍しい病気ではありません。うつ病などはもっと身近な病気です。激越型うつ病ならば、他害する可能性もなくはない。人格障害や発達障害に至っては、潜在的な罹患者はどのくらいいるのか想像も付きません。そう、あなたも既に精神科的疾患を持っているかもしれない。
もう少し、頭を使って考えたらどうでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070210072150
同じように病院に行って、治せるもんなら治したいが、どうしても躊躇する。
なぜなら、精神科受診して、うつ病じゃない、病気ではない、と診断されたらどうしていいか分からないからだ。
そうなってしまったら、一体この苦しさの原因はなんなのだ、と余計に苦しめられる。
性格の問題?治らないの?
もし、病気じゃないと言われたらひとまず安堵すればいいんじゃないかな。鬱病は治癒率が高いから良いけれども、統合失調症のなかにはまだまだ恐ろしいものがある。厳密には病気とは言えないにしても、人格障害や精神発達遅滞などは今後の対処が決して簡単ではない。
むしろ例えば、「同じ立場に100人の人がなったとしたら99人の人が同じように苦悩したり苦労したりするようなもの」と判明したなら、向精神薬は要らないかあくまで補助的な使用に留まって、時間・充分な睡眠・休息などが主役になる可能性が高い。となると、病気などよりも遙かに性質の良いもののような気がするし、abnormalというよりnormalで人間的な苦しみ、なのかもしれない。
「あなたが苦しんでいるのは事実だが、厳密には病気ではありません」「あなたの状況に立てば、普通、人間は苦悩したり眠れなくなったりするのは当然だろう」という把握は、恐ろしいものなのだろうか?多分そうではあるまい。あなたが本当に恐れているのは、「この苦しみが病気ではないと言われた時、正体不明の苦しみをいつまでも抱えていかなければならないのではないか?」なんじゃないか、と推測した。もし、「病気ではないけれども、時間が経てば癒えるもの」といった形で病気ではない事実が判明しても、あなたは恐れまい。あなたが本当に恐れているのは、「苦しみへの対応が不可能か極めて困難であることと判明すること」なんじゃないかと思った。病気ではない、と判明することのなかには、「じきに治る代物」がかなりの割合で含まれている。一言で「病気ではないという把握」と言っても、「どうやらじきに出口がみえてくるらしい」か「精神科には出口がなさそうで、未だ出口の有無も判らず」では全然違ってくる。まぁ、後者は後者で、精神科以外に活路を探そうぜというnext phaseへの入り口だったりするんだけれども、そこまで意識が回るなら、こんな質問は投げかけていないんだろうな、きっと。
しかし、
知り合いにカウンセリング受けて、病気でないと診断され、その後自殺した人がいる。調書では「うつ病による自殺」と判断された。
この一文が付け加わることによって、俄然難しくなった。もしかすると、上の文章は全くあなたの求める回答では無い可能性がある。あなたが求めてい
「私はうつ病じゃないんですか?」
「うつ病ではありません。」
「私は統合失調症じゃないんですか?」
「統合失調症でもありません。」
「一体何の病気なんですか?」
「あなたは神経症でもアスペルガー障害でも精神発達遅滞でも躁鬱病でも摂食障害でもナルコレプシーでも認知症でもない。」
「じ、じ、人格障害だとでもいうのですか?」
「じゃあ、なんだっていうんですか!」
「つまり、あなたは精神医学の枠組みでは疾患や障害にはあたらない、ということです。」
「先生、私は一体何だというんですか!」
「標準偏差のなかに入る、ごく普通の人、ということになると思う。」
「……。」
「ただし、それは精神医学の物差しで言えば、の話です。善悪の物差しで言えば、一般に、あなたの所業はクズ、と呼ばれるに値するものだと思います。」
「クズ…。」
「違うというのですか。」