はてなキーワード: モーツアルトとは
趣味って言うのは2種類あると俺は思ってる。
クリエイターとして圧倒的な感動を呼ぶ物が後者(名作と呼ばれる物な たとえば、ベートーベンとかモーツアルトとか。音楽で言う。
べーベンを聞くのは協調的な趣味かもしれないが、べートーベンからみれば、圧倒的な個性の押しつけなんだよね)
最後の1%が 名作としてみんなにありがたがられる。
たとえ、99%ゴミ箱に捨てられる運命だとしても、どうしようもなく、後者を目指してしまうのがクリエイター。
そして、その偏見的なまでの思いこみを共有して1つの作品を作り上げられるのが仲間。
そして、その 毒のように濃い偏見を共有できるかどうかが、我らの言う趣味が合わない。
圧倒的なまでの偏見をぶつけ合って、ぶつけ合って、その上で協調できるかどうかかが作品の生死。
協調するために小さくなるのは作品の死。
あの質問主は頭がおかしいわけでも何でも無い。宗教なんだよ。地下活動しているので知らなくても当然だが。
唯一神「ありがとう」をあがめるありがとう教の信者は、基本的には紹介制になっていて、近所の教会に飛び込みで入信するってわけにはいかない。というか、教会は持っていない。「この人は正しく倫理的で正義感にあふれ、礼の心を持ち合わせた強き人です」と既存信者に紹介してもらって、初めて入信の扉を叩くことができる。宗教と言うよりフリーメーソン型の結社と言っていい。
「ありがとう」は神の御名であり、軽々しく口にする事は冒涜に当たる。同様なケースはユダヤ教にも見られ、教徒は恐れ多い神の名(ヤーウェとも、ヤハベ、エホバとも)を日常口にするのを忌避し、その頭文字であるユッド(あるいはヨッド)で神の事を話す。この手の言霊信仰に近い考え方は世界各地に見られる。
ありがとう教において、唯一にして絶対の神の名は、正しい時と場所で、清らかなる心の元に発するものであり、軽々しく口にする事は万死に値する。一方で、基本的に地下組織的であるこの教団は、表立って「ありがとうを正しい心で」と布教できないため、信者は自分が選ばれたものであると言う自負と、愚民への怒りの間でさいなまされる事になる。
「ありがとう」という秘儀がこのように公の場で語られることは珍しい。だが、それに正しく応じているものがいることは、これが単なる怒りの発露ではなく秘密の通信の一部であることをにおわせる。たぶん「チチキトク・スグカエレ」で麻薬取引の合図とするような、何らかの取り決めがあったのだろう。
それにしてもうかつだっのではないか。意図せぬこととは言え、これほど一般から注目を浴びてしまっては、教団内部での地位が危ないのではないか。モーツアルトはフリーメーソンの秘儀をオペラ「魔笛」の中で漏らしたために殺されたとも言われている。この二人にどのような運命が待ち構えているのか、深く考えるのは避けておく。
ちなみに、ありがとう教のほかにも、おはよう教、しんせつ教、すみません教といった、秘密教団があってそれぞれ活動している。ぐぐっても引っかからないが、公安がマークしているし、時々民俗学系雑誌で話題になっている事がある。