はてなキーワード: プレーヤーとは
http://anond.hatelabo.jp/20070217142603
よくわからないけど、「物語面などについては他の創作から影響を受ける側」というのは具体的に余所の分野の、どういう部位からの影響なのかな。思想的なこと? 技術的なこと? こういう話になるとどうも、ゲームと文学、ゲームと映画なんかの単純権威比較に陥りがちで、あげく最終的には各各の好きな作家や監督を列挙して、ゲームのシナリオって幼稚だよねーとか言う羽目になっちゃう。
単純に物語っつっても、それぞれの媒体で最適なかたちに落とし込んだものが良いものしてと評価されるわけでしょ。良い映画のシナリオをそっくりそのままゲームにつっこんでも面白いとは限らない。逆に物語が良いと評価されているゲームをそのまま映画にしてもどうも陳腐になっちゃうということも考えられるわけだし。その表現媒体の適性というか、特性を踏まえないとぐだぐだになっちゃう。
その観点からだとゲームの物語ってのは扱いが難しい。それの善し悪しがゲームの出来に直結しないことが多いわけだから。たぶん、大半のゲームにとって物語ってそれほど重要じゃない。ストーリーがぐちゃぐちゃでも面白いと思えるゲームってあるし、逆にどんなに面白い物語が付属していても、それがプレイを妨げたり、あるいはゲーム自身がその流れを阻害してしまえば意味がなくなってしまう。ストーリーがなくても構わないことだってある。
もしくはたどる度に展開の変わる物語もある。これなんかは別の媒体ではなかなか真似できないものだよね。これが許されるというか、成立する背景には鑑賞者とプレーヤーの違い、与えられた権限の範囲みたいなものが関わってくると思う。どこまで参加できるか、それを許すのか、というような。
はじめてMDという媒体をみたときに、僕は聞き方を知らなくて、中に小さいCDみたいなやつがあるでしょう、
あれを取り出してCDプレーヤーで聞くのかと思って(MDはケースだと思った)、
フタ的な部分を無理矢理こじあけて破壊しかけたのはもう8年も前のことである。
僕はいまだにMDを編集し、電車でがちゃがちゃいわせながらMDを入れ替えて聞いている。
みんな移動中にニュースとか、英会話とか、落語とか、ラーメンズのコントとか、聞いてるんでしょう。
僕も聞きたい! ラーメンズのコント聞いたりして1人でにやにやしたい!
MDでできなくもないけど、いまだに一倍速録音しかできないのでいちど全部聴かなければならない。
僕の財布はiPodを買っても許してくれるだろうか。