はてなキーワード: インセストとは
まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。
むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。
だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。
なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。
恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。
私は別に人類学や社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。
さて。
人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト(近親相姦)タブーを第一にあげるべきだと思う。。
http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。
私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。
でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。
それは例えばこうだ。
私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。
そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。
この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?
このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。
目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。
肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。
そもそもインセスト(近親相姦)タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。
原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。
それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。
ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりでたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。
なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。
ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。
なぜなら「翌日提出の卒論がPC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。
終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。
お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。
つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。
それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。
そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。
でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。
肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。