いくつかの目立った話を取り上げで感覚で語られてもねー
巨大な機関でもないかぎり、感覚以外で語る方法などないのだから、手段なしと黙ってるぐらいなら感覚で語るのみということだ。 0か1かみたいな行動スタンスではいたくないからな。
再現性ないけど社会学や心理学でこういう研究あるだろ
実際の論文を提示しないかぎりはないとみなして次善の策としての「感覚で語る」ということを私は行い続けるよ 人間のヒューリスティックな気づきをそこまで馬鹿にするもんじゃない...
思う人は思うだろうし、その感覚が科学的には偶然の域を出ないものとは言え当たっちゃう可能性もあろう。学歴と社会性の関係はより大局観をつかみにくいというかなんというか混沌...
「聞く側が資料を提示すべき」 「提示されない場合は、持論を根拠なく自由に語っていい」 こんな集会聞いたことないぞ
ルールとして明文化してないだけでそこらじゅうで行われていることでは?まず俺でn=1
反ワクでも謎のソースを用意するというのに、もっと頑張れよ
頑張って何になる。俺は身の回りの経験で生きるぞ
だから科研費とかないとできないようなことを個人の身で個人の思う範囲で言うことがそんなに悪いことなのかってこと。