ひろゆきみたいに淡々と事実やデータを提示していくスタイルの人間が相手だと、普段からお気持ち表明しかできない彼らは結局発狂してギャオるしかなくなる。そして最後はお決まり...
最後に武器となるのは「差別だ!」の訴えだよ。 この言葉の重みはとても重い。 二重国籍問題でも、駅のバリアフリー問題でも、最後に決め手となったのはいつも「差別だ!」の響きだ...
そっくりっていうか、単純に同じ人達だよね
ひろゆきみたいに淡々と事実やデータを提示していくスタイルの人間 ✕事実やデータ ○デマやお気持ち
座り込みは1日3回で十分 暴力的な人物が中心にいても活動は非暴力である こっちの方がれっきとした事実ですもんね