子供の頃に十分愛された大人は自己を犠牲にして子供に与えるのを喜びと思うようになるのと同時に周りの大人も当然そうであると考えてしまう想像力の欠如をも孕んでしまうということだろ。
Permalink | 記事への反応(1) | 11:36
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十分愛されて何不自由なく育ったけど赤の他人が拾得したものがこっちに回ってきて当然みたいな感覚が全くわからないんだが解釈が違ってるのか? 球場にはそういう文化があるとか?