2020-12-03

ナイキCM問題から村社会主義を考える

このアベマの討論番組が、個人主義と村社会主義との断絶を表面化させていて興味深いなと思った。

https://youtu.be/pXm7MgjJoNM

村社会主義という言葉は一般的に使われる言葉ではないが、村八分を代表例とした、コミュニティの維持を主軸に置く考え方とここでは定義したい。

アベマの討論番組では、ケイン氏が主に個人主義側、その他の出演者が主に村社会主義側に立った。双方の主張はざっくりと次の通り:

【ケイン氏】

・差別は一般的なことで、誰しも身の周りに起こることであることをまずは認識すべき

・一人一人が当事者意識を持って、差別は良くないと考え、行動すべき

・周りに差別が無かった(と思い込んでいる)ため、自分は差別をしていないと考える人は多い

 →差別を無視して(あるいは気づかれずに)無かったことにしたら、その時点で差別に加担したことになる

 →差別はありふれているが、差別に加担していないと考える多くのマジョリティは、指摘されると動揺しがち

【その他の出演者】

・差別をする側とされる側の両方を取り上げるべき。差別はみんなで乗り越えるもの

・ナイキのCMによって日本が貶められているように感じる

・日本社会は議論よりも解決策が重んじられる傾向にある

・「差別に加担していると指摘されると動揺する」と一括りに主張する内容に違和感を感じる

これだけ見ても、ケイン氏による主張が個人主義、すなわち自分で考え自分で律する考え方が根強いことが分かる。

対してその他の出演者は、常に第三者やコミュニティ全体への目線が介在している。

・差別をされた側(主体)に焦点を当てたCMに対して、差別をした側や手を差し伸べた側(第三者)も取り上げるべきと主張

・(あくまで日本で起きた差別の一例でしかないCMに対して)日本全体(コミュニティ全体)が貶められているように感じる

・(終わりがなく、コミュニティから叩かれがちな)議論よりも、(コミュニティから支持されやすい)解決策の方が重んじられる

・「(コミュニティ全体が)差別に加担している」という意見に素直に頷けない

冒頭に極端な例として村八分を挙げたが、村社会主義が根付いている例は他にいくらでもある。

・子供のしつけに「他の人の迷惑を考えなさい」という言葉を多用する

・クラスで変なことを行ったらいじめられる

・震災の際の整然とした配給の列

・日本は素晴らしい、というバラエティ番組

・ゴーン被告に対する「長年日本にいたのに日本語を喋れないのか」というコメント

・緊急事態を宣言するだけで、新型コロナウイルスの感染者を抑えることができた感染第一波

この例にある通り、コミュニティを意識して行動することは必ずしも悪い事ばかりではない。しかし、それが裏目に出ることも多い。日本においていじめが陰湿化し、表面に出てきにくいのは裏目に出ている代表例だろう。

村社会主義において、村の方針と違うことをすること、村の名誉を毀損することは悪手だ。そんなことをしたら、村を追い出されてしまう。

それを回避するためには、村の名誉を傷つけないように配慮しながら、村民に少しずつ根回ししていくことが必要になるだろう。

個人主義はそれと真っ向から対立する。自分で考え、自分で律せよという主張は、村から追い出されたらどうしようという恐怖感には勝てない。目の前に差別があったとしても見て見ぬふりをしてしまうのは、差別を無視しているのではなく、行動することによってその場で異分子扱いされるのが怖いからに他ならない。

このような行き過ぎた村社会主義は、社会の流動性を低め、既得権益を太らせ、個人の自由を奪う結果にもなりかねない。

そんな状況だからこそ、はてな匿名ダイアリーって良いですよね。匿名だからこそ、言いたいことを言ってもつまみ出されることがない。

村社会主義の良いところは継承しつつ、直すべきところはしっかりと主張できる社会になるよう、この場でささやかに根回しさせていただきます。

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