「なんでXXXって展開にしないんだ」とか「XXXを書かないなんて信じられない」とか「こんなの小学生でも書ける」とか「物語として不完全」とかその種の批判(というか罵倒?)を見て...
まあ世界中いたるところに応援しているチームの戦術・戦略に駄目出ししてこうあるべきと言うだけのサッカー監督のような何かとかあの補強はダメだとかあれを獲ってこいと言うだけ...
個人的には、批判にしたって非創作者には言っていい領域と踏み出してはいけない領域ってあると思うんだけど、今はなんかもう、何でも言っていい、批判の自由だふじこふじこみたい...
飲み屋で野球中継見ながら仲間と一緒に金本ヘボ監督!とか言いながら采配にケチをつけるのと同じ感覚の文章を誰もが見れるネットに垂れ流してるんじゃないのかと思わなくもない。
たぶんそういう意見の人からは嫌われてると思うけど、某ラッパー映画批評家は、 「ラーメンの味が濃かったら濃い!って言うのと同じで、受け手も全く作る過程を想像できないわけじ...
「このラーメン味が濃い(好みに合わない)」ってのと「この料理はねぎを入れるべきだ」とか「味噌じゃなく塩にすべきだ」とか、あまつさえ「素人のほうがもっとおいしいのが作れ...
これはラノベ天狗案件ですかね…… それはそうと評論と感想の境目はどこかとかファンと評論家の境目はどこだとか、そもそもオタクって評論っぽい何かをする人達なんじゃないのかと...
結局批判する上でしてはいけないことなんて無くて、ただその人の在り方・考え方などと批評が合致しているか、という一点だけが重要だと思う。 批判を批判してる人たちが言いたいの...