2011-01-05

からも望まれない人生について

叔父は幼い頃は神童と呼ばれていたらしいが、僕が知っているのは精神病の男である、と言うことだけだ。叔父は中学生くらいの時におかしくなり、それ以来ずっと、祖母が実家で半分幽閉的に世話をしていたが、祖母が倒れてから叔父の兄弟である母ともう一人の叔父が、共謀して叔父を精神病院に閉じ込めることに決めた。長年閉じ込められてきた叔父には、外で生活できるだけの社会的能力はなかった(何度か外に出ては犯罪まがいの事件を起こしていた)。

うちには祖父の築いた財産があって、それで叔父の入院はまなうことが出来た。叔父を精神病に追い込んだのも祖父の厳しさだった、と周囲の人間は信じているから、それが自業自得だ(祖父にとって)と皆思っているのだろう。叔父の人生を心配する人はいたが手を貸そうとする人間は誰もいなかった。僕は幼い頃に何度かあっているがとても怖かったことだけを覚えている。大きくなってからは、会うことさえなかった。

叔父は当然のように未婚であり、祖父も祖母も死んでいたし、小さな頃から誰とも会っていないので、本当に誰からも愛され必要とされていなかったのではないかと思う。母ともう一人の叔父は兄弟としての義務感から彼を何とかしたいと思っていたが、「何とか」というのがなんなのかは具体的な形になっていなかった。少なくとも今の生活を崩すかも知れないリスクを冒してまで、何とかして叔父を助けたいと思っていない。叔父がいるおかげで自分が今幸せなのだと、思っている人はいなかったのだろう。

1ヶ月前、病院から電話がかかってきて、叔父が倒れたという。緊急治療室に運ばれて、違う病院に運ばれた。うちには祖父の築いた財産がまだまだあって、それで移転後の寝たきりの治療費(結構な額だ)も、まかなうことが出来た。

「最高の治療をしています、他の病院では多分助かっていないでしょう!」と医師は自慢げに話したしかし誰も口にしないけれど、誰もが叔父がこのまま死んでくれることを望んでいたのではないだろうか。生命維持装置を外せば死んでしまう。それを維持するお金はある。でも、義務感以上には、それを維持する動機が誰にもなかった。誰もが自分が手を汚したくないという理由で、生命維持装置の維持を続けてもらっていた。最後、様態が急変して、叔父が結局死んでしまったとき、叔父の義理の弟である父がぼそっと「これでよかった」とつぶやいた。誰も何も言わず、何人かはうなずいた。

不運な、人生だったと思う。失敗した人たちは大勢いたが、悪意のある人は誰もいなかった。愛されてはいたのだろうが、それは正しく叔父を幸運にする方向には導かなかった。

からも望まれない人生について考えている。幼い頃は望まれていただろうが、やがて誰からも望まれなくなった人生の終わりについて。

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