2011-01-02

いわゆる差別語に関する卑近な話題―『よつ』を題材として―

新年早々、『よつ』という言葉を使ったことにより、番組内で謝罪があった。被差別部落民に対する差別用語だという。

ちなみに私はその事実、及び意味今日という今日まで知らなかった。というのも、私は山梨より西には一度足りとも足を踏み入れたことのない無垢な20代であり、バカより汚い言葉遣いなどしたことがない(というのはもちろん冗談だが

たとえば、一地方差別用語とされている言葉があったとしよう。もちろん、それ以外の地方では、差別用語はならない。

しかし、TV、新聞等のフラットメディアでは、その一地域差別用語は全地域に拡大される。

その地方、そこに住む人々以外に差別意識はないだろうが、お構いなしだ。

その言葉差別用語とは別に意味を持っていたとしても、お構いなしだ。

それがどこかで差別用語ならば、どこにいようと口にするのはご法度なのだ。

そんな時代になった。

そういった「配慮」のおかげで、差別意識が特定地域を除いて、全域の人々から消え去ったとしよう。

しかし、一度その差別用語を使うだけで、メディアが謝罪し、それを見た人々には差別への関心が向けられる。

それは彼らの望んだことなのだろうか?

もう幾年も経てば根絶できたかもしれない意識を、今更掘り返してどうするつもりだ。

向きあってもらいたいのか?その問題と。

向き合った人はお前が配慮させた種のせいで差別心が芽生えたかもしれないぞ。

お前ののぞみはそういうことではないはずだ。

はいえ、僕はその事実もその時初めて知ったし、そういう過去の話をぶり返すのはどこか隣で見たような気もするし、そういう差別もそれを掘り返して騒ぐことも根絶などできないのだろう。

ならば、君らはどうする?

僕はその言葉を知った。覚えた。しかし使うなと言われる筋合いはない。それに従う理由もない。

何百年後までそれを引きずるつもりだ。

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