別々のものは別々のものであるから、それを同一視するのはナンセンスであるというのは自我に基づくものであって、他我の存在を無視していることに繋がる。
正直に言うと、この一行を正しく理解できている自信がないのですが
つまり、『「別々のものは別々のものである」という解釈は、主観的な解釈である』(他我の解釈を無視している)ということでしょうか
また、貴方が最終的に仰りたいのは、恐らく『自我と他我との断裂は埋め難く、それ故にレッテルと自己の内面との差異を言語によって証明することは不可能なのではないか?』ということなのだと私には思われました
もしそれが貴方の問いたい内容なのであれば、私はこう答えます。「実に全くその通りだと思います」
しかし、そう思うのと同時に、とある言説において反論が可能であるように思います。
というのも、それは『自我とはそもそも言語化するべきでないものなのだ、あるいは自我とは言語化できない存在なのだ』という言説です。
すなわち『レッテルを貼るという行為における地平を超越した地平に、自我は存在するのであり、そもそもそのようなことを証明する(レッテルを否定する)必要はないのだ』という言説です。
さてこの言説に則って更に反論を進めるとすれば『何故自己はレッテルの地平を超越していると言えるのか』ということに対して証明が必要です。
しかし前提として、このことの(言語による)証明は不必要であると先に述べてしまったので、証明そのものがナンセンス化しているのですが、しかし敢えて説明を行います。
関係性の地平は、実在性の地平、つまりレッテルの地平を超越しているといえます。
というのも、関係性とは『ものとものの間にあるもの』なのです。
では、どのようにして『関係性であるところの自己は、実在性(ものの地平)を超越しているのか』についてですが……これについては私も勉強中なので確たる答えが返せません! しかし敢えて言うならば、我々の自己意識(自我)が、ある単独なもののみによって構成されることでは、存在し得ないからだ、ということが言えるでしょう。
というのも、ある単独のもののみで構成されている世界には、存在理由がありません。
このように断定することができるでしょう。(ライプニッツのモナドロジーは否定されるべきだと私は思います)
存在する理由(存在における『How、及びWhyという双方の質問に対する説明としての理由』)がないのに物事は存在できません。
すなわち、自我が存在する方法としては、ある単独のものを用いるだけでは不十分なのです。
そして、相補的な二つのものにおける関係性としてでしか、人間の自我は存在できないのでしょう。
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そのナンセンスなことをしているのが、レッテル貼りではないのかい?
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横だけどマルクスのイデオロギー論以降、実存主義とか構造主義とかポストなんたらとか変わりながら連綿と続くあれだよねそれ。
当方実存主義を勉強中です
間が開いてたからもう見てないものと思ってたが、えらく丁寧にレスを考えてくれてたんだな。 また、貴方が最終的に仰りたいのは、恐らく『自我と他我との断裂は埋め難く、それ...
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いや、必ずしも相手を下等な物と見なしている訳じゃないよ。 だって考えてご覧よ。 なにかにつけていちいち隅々まで情報を把握していたら、キリがないだろ? だから、脳みそって...
その通りなんですが 私自身がレッテル貼り(ものごとを単純な構造として把握すること)を行うとき、そこに優劣の序列を付けてしまいそうになるのです というか、序列付けを全...
横だけど 私自身がレッテル貼り(ものごとを単純な構造として把握すること)を行うとき、そこに優劣の序列を付けてしまいそうになるのです だったら、優劣の判断基準を複数(なる...
なるほどいいアイディアですね 発想の転換というやつでしょうか ただし、厳密な意味における、『真の公平性』を発揮することは、やはり仏陀の所業としか言いようがないでしょ...
遅れてきたけど、先にトラバした増田の言うように、序列づける基準を複数持っていればいいんじゃないかな。 もっとも、その基準にも優劣を、、、と考えるとややこしくなるけれども...
面白いアイディアだと思います、もとい、同意できます。 基準において優劣は存在するのでしょうかね? 何となく、自明として優劣が存在しないような気がするのですけど。いわ...
たしかにああは書いたが、自明、かどうかはわからないけど、それに近いぐらい基準に優劣はないかもしれない。 いくつかの基準があったとして、対象を判断するのにどの基準を当ては...
仮に、無意識の領域においてまで、基準における優劣が存在するとしたら嫌な話ですね それは他でもなく、我々のあらゆる価値判断が恐ろしく恣意的であるということなのですから