2010-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20101125235136

 仮に、無意識の領域においてまで、基準における優劣が存在するとしたら嫌な話です

 それは他でもなく、我々のあらゆる価値判断が恐ろしく恣意であるということなですから

記事への反応 -
  • いや、必ずしも相手を下等な物と見なしている訳じゃないよ。 だって考えてご覧よ。 なにかにつけていちいち隅々まで情報を把握していたら、キリがないだろ? だから、脳みそって...

    •  その通りなんですが  私自身がレッテル貼り(ものごとを単純な構造として把握すること)を行うとき、そこに優劣の序列を付けてしまいそうになるのです  というか、序列付けを全...

      • 遅れてきたけど、先にトラバした増田の言うように、序列づける基準を複数持っていればいいんじゃないかな。 もっとも、その基準にも優劣を、、、と考えるとややこしくなるけれども...

        •  面白いアイディアだと思います、もとい、同意できます。  基準において優劣は存在するのでしょうかね? 何となく、自明として優劣が存在しないような気がするのですけど。いわ...

          • たしかにああは書いたが、自明、かどうかはわからないけど、それに近いぐらい基準に優劣はないかもしれない。 いくつかの基準があったとして、対象を判断するのにどの基準を当ては...

            •  仮に、無意識の領域においてまで、基準における優劣が存在するとしたら嫌な話ですね  それは他でもなく、我々のあらゆる価値判断が恐ろしく恣意的であるということなのですから

      • 横だけど 私自身がレッテル貼り(ものごとを単純な構造として把握すること)を行うとき、そこに優劣の序列を付けてしまいそうになるのです だったら、優劣の判断基準を複数(なる...

        •  なるほどいいアイディアですね  発想の転換というやつでしょうか  ただし、厳密な意味における、『真の公平性』を発揮することは、やはり仏陀の所業としか言いようがないでしょ...

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