暇人\(^o^)/速報 : LOの表紙の画像集めようぜ - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51566262.html
この記事を見ながら、いろいろと思うところがあったので書かせてもらう。
まず、幼女を求める姿勢というものが、性的か、或いは『性以外の別のものか』というものに分けられると僕は思っている。
では、その『性以外の別のもの』とは何か。
僕は『無垢』だと思う。
汚れていない心。世間や、社会、人間や文化に侵されていない精神……そういったものが、『この世に性を受けて間もない生命』にはあると思う。
だから幼女だけではなく、幼児全体にそれはあると思うのだけれど、なぜかオスは無視され、メスのみが『無垢を求心する層』には好まれる。
う~ん、それは何なのだろう。
接客する仕事には女性が採用されやすいと聞くし、やはり『女性』という性の方が、人間的には安心を感じやすいのか。
とにかく、『生まれて間もない生命』には、無垢がある。これは間違いないだろう。
ところが、この世にはそんな無垢性を邪魔する思慮が介入する。これが人間の高度さでもあるが。
その中でもっとも社会に蔓延しているのが『子供らしさ』だ。子供は『子供らしさ』が無くてはいけない。いつも明るくニコニコ笑っていなくてはならない。でも『子供らしさ』って何だ?
例えば、自分の子供を体験学習や観光スポットに連れて行っても、『どうだった?』と聞いて返ってくるのは『楽しかった~』という答えだけ。アホか。子供は、どういった答えを返せば大人が『喜ぶ』か、経験的にちゃあんと学習しているのだ。そういった答えが子供の『本音』であるわけがない。その証拠に、子供は家に帰ったら「待ってました」と言わんばかりにテレビゲームかオンラインゲームを始めるだろう? 『本当に楽しいこと』を始めたのだ。
そんな姿が、果たして『無垢』であるといえるだろうか?
世の中のロリコンは、そんな現実にもう嫌気がさしたのだ。いくら可愛くたって、化粧をしてイケメンを追い求めている幼女になんて、萌えるはずがない。だからロリコンは『本当の無垢』を求める。文明に浸っていたとしても、その文明から切り離された瞬間というものが必ず『生命』にはある。「あ、今この少女は無垢だ」と思える瞬間が必ずある。その一瞬という物を、イラストレーターのたかみち氏は高度な技術で描き尽くす。ただの幼女を描いてもダメなのだ。『無垢』である瞬間を切り取らないとダメなのだ。だから『LO』の表紙はいつまでも評価される。そして『LO』自体もいつまでも廃刊にならずにいるのだろう。
よく解らんがLOってロリエロ雑誌なんだよね、じゃあ性的を求める層が買ってるんじゃないの? 無垢なファンタジー子供とセックスハァハァって感じの。
親になるとか、自分の子供時代という現実と、ファンタジー子供セックスという虚構に関する事柄を切り分けて考えられないの? 「虚構と現実の区別がつかない」という人はそんなにい...