死んでからも皆から迷惑がられるのだろう。
マジを考えた身としては、やっぱり列車が簡単な方法に思えてしまう。何も道具がいらない、ただ選択するかしないか。
周りのことなど考える余裕などない、迷いながら決行するとしたら、ビルに登るより、いつもの駅でフラッと落ちてしまうことを考えたりしてしまう。
安楽死施設があれば、、とは皆が思っているだろう。
マスメディアは自殺を報じない、後追いを避けるためらしいが、電車に乗れば、いや乗らずとも社会と関われば、「事故で遅刻します」という言葉で今日も自殺があったらしいと分かる。
無駄な抵抗に思える。
しかし、それは向こう岸に行った人には届かない無駄な戯言だろう。
その外堀を埋めたのは誰か?
生きていてよかったと最近思うが、それは意外と生きる才能がありそうだと思ったから。
死にたいと思っていた日々は嘘ではなく、死の方が楽なこともよくあることだ。
鉄道で人が死ぬ内線国という現状にもっとフォーカスをあてまくった方がよいのではないか?