2010-10-25

病人表現の場を持たせるな」

彼らの主張は、「病人創作や発表を通じて自己実現、肯定を行うと、更正を阻害するから表現の場を取り上げるべきである」というものだ。

病んでいても、才能や話術に長けている人間は支持を得、自分に対する自信を付ける。だがそれは病気によって作られた偽りの能力であり、正常な精神を取り戻すためには、そのふざけた幻想そのものを破壊し、「ありのまま自分(そのような間違った能力を捨てた自分)」を肯定させなければいけない。

彼自身は病気によりその正しい自己認識できないので、他者が判断し、導かなければいけない。(それは暴力では全く無く、単に倫理上の行動である。)

彼らはそのように考え、ネットを日々徘徊し、「間違った行動」を見つけ、辞めさせようとする。どうやるのか。対話により病巣をえぐり出すのである。

相手の仮面を剥がし、感情的言葉をわめくだけの状態にすればいいのだ。そのために議論に決して乗らず、徹底して感情を刺激する。同時に複数の方向や、予測していない方向から攻撃すれば、大抵はぼろを出す。

彼らにとって病人の行動はパターンだ。この言葉で、こう刺激すれば、こうなる。感情操作の方法を知り尽くしている。とにかく執拗に絡み続ける事で表現への意欲を失わせればいい。荒らし粘着に見えないだろうか?いいや、傍目には切れた人間をなだめる親切な人にしか見えない。なるべく少ない手数で相手を爆発させるマジックワードを掴むのだ。爆発後はマジックワードを多用しつつ、相手が感情的である事を指摘し続ける。予定された日数で相手は活動を凍結する。

今回のことで懲りたろうから、当分はネットに出てこないはずだ。平和は守られた。彼は安堵し、監視塔に戻ってパトロールを続ける。敵対者は多い。しかし病気だから痛がるのだ。善きことは為されなければいけない。世界とはそのようなものだからだ。

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