ネット上の知り合いが、おそらく死んだ。
その人と知り合ったのは今年4月頃。はてなを通じて知り合った。
その時には既に、末期がんで助かる見込みがないと診断されて1年半以上経過、
いつ死ぬか分からず、延命治療は望まず、痛み止めも拒み続けた人だった。
私とは考え方がおよそ異なる人で、実際に顔を合わせれば絶対に嫌いになっただろうと思う。
菜食主義者だったその人を、第一印象で拒まずに可能な限り理解したかった。
自分と相入れぬ思考を持つその人を受け入れて、自己満足したかったのだ。
エゴの塊。これから生きて行く上でそうそう重要なヒトではないのだ。そんなものだろう。
Twitter等でゆるく交流を続けてきた。
一ヶ月前、その人は何も呟かなくなった。
その人のツイートが途絶えて半月経った頃、ああ、死んだのだな、と感慨もなしに思った。
針の穴ほどの喪失感。それが薄く浅く確実に広がっていった。
数年前、友人を亡くした時は、お見舞いに行ってあげれば良かったと後悔した。
それがただの自己満足で、臥せる人にとっては大した意味を成さないと、そう気づいたのは最近だ。
私にとってどうでもいい人。その人も、死の直前に私のことなんて塩ひとつまみ分も考えちゃいなかっただろうけど、
淡い、だが確かに喪失感としか言いようがない感情が、波紋のように広がり反響している。
どんな人でも死んではいけない、死ぬのは寂しい。いなくなっていい人なんていない。
わずかでもその人に関わったり、その人についての情報を知っていたりすれば、 その分だけ喪失感があるものだと思う。 テレヴィジョン・シティという小説にあったな、そういうの。
ネットの友人が生きてた。 ……あれ?