2010-09-23

自信がない

見事にない。

嘘だ、本当はどこかある。

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物心ついてからほとんどの時間そうだったけど、

自分が続いてるのか。どこまでが自分か。とよく思ってた。

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寝ると意識が途切れるし、

忘れる ということは、例えばその時感動して泣いた自分とはもう別物になっている気がした。

そういえば小さい頃は、泣く、というより涙を流すということ自体が恥ずかしいことだと

強く認識していたせいで、あくびで目が潤むこともないように気をつけていた。

今では簡単に人前で泣く。簡単に泣く。泣いたことも忘れる。

これだけではないけど、もう昔との自分連続性はほとんど途切れている。昔の自分に憧れるくらいだ。

当時はおそらく全能感があった。幼稚さからのものもあるが、ほんとによくできるところがあったと

今でも思う(まあ、今でもこんなだから成長できてなさから自信がないのかナルシストなのか)

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小学生のときはふと気がついたときにいつでも心の中で名前、学年、組、好きな人名前

好きな色、友達の名前、好きなこと、嫌いな食べ物、夢なんかを言ってた。

言えてることで、今日もちゃんと自分だ。と確信できた。

あと、接してる人が変わると、自分の態度が変わることを気にしてた。

人見知りなほうだったけど、より人見知りの子の前ではまったく平気な風だったり、

親の前ではやんちゃ子どもらしかったり、うまく言えないがそこにいるといいと思える

役、期待される像を勝手想像して少し演じてるような。

友達で、誰に対してもずっと同じでいられる子がすごいなと思ったような記憶があるような、

でもそうする自分に少し優越感のようなものをもっていたような。

その人に対しての、自分の態度みたいなものに明確な差があって、

友達と親とでは全然違う態度なので、違う態度をとっていた両者が一度に

自分の前に集まってしまうとどう振舞っていいかわからなくて恥ずかしかったり困ったりした。

人に合わせる癖はまだ変えられてなくて、無駄に心から同調してしまう。流される。

同調といえば、小~中学生のときはもっとひどくて、泣いてる人を見ると

無意識に涙が出てきた。悲しくなる、とかではないし、ただこすって目が赤くなった人

(←テレビ越しやまったくの他人でも)涙が出たので、そういう人の顔は直視できなかった。

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先生や目上の人には敬語を使うと教わってきたが、敬語を使って話す生徒より

親しげにため口で話す生徒へのほうが先生は世話を焼いたし、表情も柔らかかった。

おかしいなと少なからず感じた。

学校では、物事を強制されてきたせいで、学校から出てしまった今、もう

自主性もなくてやりたいこともわからない。やりたいこといっぱいあったと思ったのに な。

制服が男女で分かれていることがもう、嫌だった。絶対に私服ではスカートははかなかったのに。

持っていたこだわり、プライドや自信は必要以上にすり減らされてなくなった。

絶対的な自信がなくなってしまった。人間関係とか。

いろんなことに散々うちのめされた。世渡りが下手だった。正義感がおそろしくあって、

なにかと頑なだった。小さいのに頭が固かった。今思えば恐ろしく純粋萌える

それなのに、高校途中から変わって性格が変わった。変えようと努力してたら、

そんな風な性格パターンがつかめた気がした。こんなときはこう思うのかと。

とてもそれは不自然だけど。

変えないといけないと思って髪形も服も変えた。ちょっと自分では高圧的な態度くらいが

一般では普通で、親しみやすいようだった。

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最近は元に戻ってきている。

もう自分がよくわからない。

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人間なんて、環境ですべて決まると思ってる。

悪いこともいいことも、自分がすることだが、それはまったく同じ環境下で育てば

同じように行動していく(していける、とも、してしまう、とも思う)

与えられた情報環境・偶然が意思や思考を作ってくんだから、その人の努力の範囲も、

その与えられた環境下で与えられたやってきた情報で考えうる限りの努力しかできなくて、

自分の意思では絶対的に抜けられないものがあると思っている。

自分自身をそれを否定しても、いまだに納得いく否定がしきれていない。

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文章まとまってないけど、いつかこんな漫画を描こうと思った。

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