http://anond.hatelabo.jp/20100821065642の増田です。
元記事が増田にゃんねるに取り上げられ(http://masuda.livedoor.biz/archives/51477453.html)、コメントが多くついたので追記を書きたくなりました。
まず、漱石の「こころ」のセリフがコメントに多く出てきましたが、僕が今の考えを持つのに「こころ」は強く影響しているのではないかと思います。
元々、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というセリフを僕は知っていて、漱石の作品の偉大な人物の格言なのだろうと思い、それを高校受験時に「やる気を出すため名言」として使っていました。ところが実際に読むと、「先生」は、友人であるKを出し抜き娘を手に入れるために「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言っている。そして先生よりは向上心を持っていたはずのKは結婚話を聞いた後に自殺することになる。
この、僕が信条としていた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というセリフがただのデマカセで、その言葉で友人を自殺させてしまった「先生」が、その無責任さを悔やんで長年後悔する、という構図に衝撃を受け、僕は虚無的な考え方になってしまったのかもしれません。
コメント内で「健常者で一人で生きていけないのは甘え。」「「周りが」不幸だから「自分が」幸せになれないっておかしいと思わないのか?」という意見に対して。
一生一人で生きていけたらそれは楽でしょうがそうもいかないでしょう。私が結婚するかどうかはともかく、姉はあまりあてにできないし、老後の両親の面倒は私が見なくてはならないと思っています。「そんな時代じゃない」という意見もあるでしょうが私が40歳くらいになることには「そういう時代」なんじゃないかと思っています。高齢者の割合的に。そういう意味も含めて、「周り」の不幸が「自分」の幸せの枷にならないか、という閉塞感を僕は持っているのです。
コメント内では多数の人が「自分がどうしたら幸せになれるか考えるべき」と言ってくれました。しかし、自分の幸せを追い求めようとしても、色んな枷があるのは当たり前であり、その枷が今後はどんどん重くなっていき、自分が頑張れなくなれそう、というのが私の心配なのです。
だらだら愚痴を書いてしまいましたが、心配してもキリがない、視野を広く持ちながら、適度に頑張るしかないですよね。
>「美味しいもの食べるだけで幸せ感じるやん」
ですよねーw
終わり。
あとついでにコメント1023さん、ニコニコを見ている人がみんなステレオタイプで馬鹿な若者だと考えているのですか?私だってニコニコくらい見ますよ? よっぽどステレオタイプなのは、そちらのような気がします。
僕が最近考えるのは、僕が持っている「将来幸せになんてなれないという予感」についてだ。そのことを僕が考え始めたのは「若者殺しの時代」という本を読んでからだったような気...
19歳でそれに気付いたならまだ助かる方なんじゃねーの? 30過ぎまで何も考えない馬鹿もいてそっちの方が問題だろ。
絶望は愚者の結論。 最近、幸福感とはなんなのかと考えるに至り、 結局は『希望を持つ』という結論に達した。 この際、希望が叶ったか叶わなかったかという結果は関係ない。 希望を...
愚者だから希望を持つことができない、というのなら、もうどうしようもないですね。
ただの中二病だろ
それはともかく、 「もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。」 っていう文章はものすごく巧いと思う。