2010-07-13

宮崎駿の記事を読んで考えた。

リア充でなければ(良い)アニメは作れない。

しかしリア充ならばアニメなんかに興味はない。定義上。

まっとうな芸大生がなんとなくアニメ会社就職するのが最善策か。山田尚子みたいに。

しかし非リアのルサンチマンを掬う(救う)作品を作れるのは誰なのか。

神山健治ではサブカル受けしてもオタクは救えない。本人にその気もさらさらない。

山本寛は自身がルサンチマンに囚われて同族嫌悪に走るオタク。どうしようもない。

細田守宮崎駿的思想の持ち主。声優(笑)なんか使わない。健康的。現実的。前向き。嫌になる。

新海誠オタク感性も持つハイブリッドアニメーターか。でも最近サブカル寄りにシフトしてる気がして不安

舛成孝二は自身が完全にオタクであり、オタクに心地いい作品を質の高いレベル提供できる。が、宇宙ショーがコケたから映画は当分作れないだろう。

個人的結論としては、東映プリキュアチームに期待を託すのみか。

玩具売り上げという拘束があるものの、内容そのものは女児(とその親)を意識して、至って健全道徳的。

作り手の道徳観念を(説教ではなく)エンターテインメントととして提供できているのは、現在プリキュアしかない。

一方で、(玩具促販を除けば)映像作品自体に商業性を持ち込まなくて済む。オタクプリキュアにおいて経済搾取の対象ではない。だから、オタクはかえって純粋に楽しめる。「嫌儲」感が刺激されない。

プリキュアは「女児=親=家庭=社会」公認の作品である。自分の好きな作品が社会に認められることで、間接的にオタクは世間からの承認を得た気持ちになれる。

オタクから金を得てオタクに向けて制作する、オタク世界に閉じたアニメはどうしても行き詰まる。

プリキュア商法がいいとは思わないが、ある程度は資本論理から外れたアニメ制作の体制を構築できたらならば。

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