ある男に「死になさい」と声をかけられた。
そのとき私は上京したばかりで、さびしい毎日を送っていた。そこでその男の話を聞いてみることにした。
まさか、「死になさい」で始まる宗教の勧誘なんてあるまい。
男「それがあなたの為になるんです」
私「どうして死ななければいけないんですか」
男「死ねばこの先苦しまずにすむんですよ」
私「そりゃそうでしょうが・・・」
男「じゃあ何故死なないんですか」
私「だってやりたい事がまだあるし」
男「もし、うまく行けば、天国にいけます。そこでなさったらいい」
私「しかし、その保障はないでしょう」
男「ある有名な方のお言葉です。『死んだ人間がすべて天国に行くわけでない。しかし天国に行く人間は―』」
私「『皆、死んでいる』ですか?」
男「わかってるじゃないですか、なら死にましょう」
私「いやいや、でも痛いだろうし」
男「今ここで苦痛を味わって、それでいて天国に行けば、永遠に幸せなんですよ。一時の苦痛です」
私「だから、それで地獄に行ったら、苦しみ続けるんでしょ?」
男「ある有名な方のお言葉で―」
私「もう、いいです。結構です」
なんて無駄な時間だったのだろうか。あの男はきっと隔離病棟から抜け出した精神異常者なのだ。
あの男がつけてこないか怖くなって、わざと遠回りをして家に帰った。
金を貸してくれ、という内容であったので、説教してやろうと電話をかけた。
弟「なんで」
私「それがあんたの為になるんだから」
まさか嫌とはいうまい。