いや、普通に理解が出来るけれども。
強いて言えば、ルールっていう構造の階層の問題だと思うのだけれど。
例えば、「柔道」を例にとると(サッカーを例にとろうと思ったけど、僕はサッカーを知らなかった・・・)
「背中から一定以上の勢いを持って相手を十分に制御した形で投げ落とせば一本」
という結構根本に近いルールの階層があり、それより更に深い階層に
「一対一で勝負し、勝敗がつく」
というような「根本原理」とも呼べる階層があるわけだ。(もちろん、これも広義にはルールと呼べるだろうけど)
逆に、より表層に近い場所では
とか
とか
「軸足払っちゃダメよ」
みたいな、「ルール」がある。これは変更しても「柔道」が勝敗を決めるものであり、1対1のスポーツである
っていう「根本原理」には影響を及ぼさない。「ゲーム性」に変化が現れるだけ。
そのブログを書いている人は比較的表層に近い部分の規則を「ルール」と呼んでいるのでしょう。
あなたはそれを「環境」と呼ぶけれど。でも、ぼくとしては「気温は平均24度」とか「日差しは強めでシダ植物多目」とか
その辺の「表層」の方が、まぁサッカーの「オフサイド」とかそういう「ルール」に近いと思うよ。
あなたの言う「弱肉強食」みたいなのは「ゲームは勝敗がある」みたいなレベルの「根本原理」に近い。
そのルールを変更すると、もう「ゲーム」が成立しなくなっちまうわけで。
そのレベルの改正を「ルール変更」とはちょっと言わないでしょう。
例えば、サッカーを「チームごとの勝負」から「22人の中で最も優秀なプレイヤーを決める競技」に変えることを
一般的には(もちろん、語の定義次第ではその限りじゃないけど)「ルール変更」とは呼ばないでしょ。
まぁ、でも元エントリもresemblanceの理論というか、家族的類似から引っ張った論理に過ぎないから
こんな議論そのものがムダって気もするけど。類似関係から導かれる論証の過程がゼロなわけで。
この人にとっての「ルール」の定義が理解も推察も不能なんだが、だれかわかる人いるか? 自然界にもたくさんのルールがあります。そのルールは常に変化に晒されています。自然界...
いや、普通に理解が出来るけれども。 強いて言えば、ルールっていう構造の階層の問題だと思うのだけれど。 例えば、「柔道」を例にとると(サッカーを例にとろうと思ったけど、僕...