2009-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20091201153310

んじゃ、年寄り説教とまでは行かないまでも、良かったら、愚痴みたいなものだと思って聞いて欲しいんだが。(こんな時間増田をやっている年寄りにろくなやつはいないから、そのつもりで)

私としては「共感して欲しい」という地点で甘えだと思う。そうだな、あれかな?まるでお母さんのように「そうだね、大変だよね…。」みたいに話を聞いて欲しいように見えるね、その彼女は。でもさ、友達ならともかく、わざわざエネルギーを使って人の愚痴を聞くなんてよほど奇特人間か、下心のある人間にしか思えない、私には。

だって、人の愚痴なんて面白くも何ともないし、そんな義理なんか無いもの。

当たり前だが、他人はそして自分も、仏様でもマリア様でもないし、勝手に生きてる。基本的に他人なんて物は無責任で身勝手な物だよ。それは大人でも基本的に変わらない。逆に、その彼女なり、増田なりが、寛大なボランティア精神を持って、全然見ず知らずの他人の愚痴を聞いて回ったことがあるのか?と聞きたい。もし無ければ、自分にない物を他人に求めている訳だ。自ら与えないで、与えられることを待っているその地点で子供だ。あなたが神様でないように他人も神様でない。

結局、コメントしている連中は、偉そうなことを言いたいという欲望に任せて偉そうなことを言っているだけだと思う(もちろん、私も含めて)。だから、基本的に他人なんてあてにならない、ということを悟らないと、大人にはなれないよ。

オーストラリア原住民アボリジニの成人の儀式に、砂漠で生き残るみたいな物があったように記憶している。結局、あてになるのは自分だけ、というのを本能レベルで刻むためだと思う。それから、以前の増田に、5年間引きこもって、孤立無援になって、働かざるを得ない状況になって、社会復帰をしたみたいな話もあった。多分、その増田も、あてになるのは自分だけ、みたいな悟り方をしていたはずだ。

と書いても、現時点では、増田にはピンと来ないかもしれないけど(増田子供だから)。しかしまあ、現在日本にも成人の儀式が済んでいないような年齢だけ重ねた大人がウヨウヨいるのも現実だ。

もちろん、こういうことを書いている私自身もろくな大人じゃないと思うがね。共感されても、共感されなくても、評価されても、評価されなくても、自分がなすべきだと思うことをするだけじゃないかと思うね、現実的には。

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