学校の道徳の時間「一日120円の貧しい人がいます」という言葉を先生は口にした。
当時の俺は確かに貧しいなと思ったが、この「120円」は「120円分」の貨幣価値なんだよな。海外の物の値段で「1円未満」の商品など山のようにある。それがいいのか、それが悪いのかは別として、いつしか為替を知った俺は「一日120円の貧しい人」は頭の中から存在しなくなった。むしろ「1円クリック」の凄まじさを覚えた。もしかしたら1ドル、1円で物が買えちゃうような国って山ほどないの?
そう考えると日本円にして120円で買えるものと同等の品が1円未満で手に入るんじゃないかという可能性が頭の中に一瞬だけ過ぎった。が、実際にはそんなことはないだろう。日本円にして120円と同質の物が海外産にあるのなら俺はそちらを買っているし、輸送費・税関諸々で実際は高くなってしまう。ダメだ、一日120円で生活なんてとても出来ないじゃないか。
つまり、何が言いたいのかというと、一日120円の生活者は日本では成り立たないけれど、極端に貨幣価値の低い国では成り立つよねと言うことだ。貧困か富裕かは別にして。