大人になるということは名札というものがつくということなんだ
よく社会人の人や大人の人は、「●●として」という言葉をつかっているじゃないか
立場というものを使い分けていかないといけないんだね
いろんな「顔」があるということなんだね
それっていうのは、大変なことらしいんだよ
辻褄というものをあわせていかないといけないからだね
それって疲れることらしいんだよ
いろんなこと考えないといけないからだね
落ち着きというものがないよね
一つの名札というのがあって、それでやってゐればいい、という人なんて1人もいないということなんだ
ここだけの話をすると、学者なんかは割と一つの名札でやっていけるご身分に近いという話だけれどもね、それでもやっぱり、いろいろなことがあるということらしいんだよ
そんなにも、名札というシロモノがいろいろついてしまうことによって、「じぶん」という大切なことが空っぽになって無くなってしまいそうだけれども?
けれども、それだからこそ、自分らしく輝いていくことができるというのは大事なことなんだと
がんばれって言いたい、社会人の人たち
頑張って名札に負けない大人になっておくれ
高校の頃、国語の点数悪かっただろう?
名札にこだわるのは、自分の名札にコンプレックスをもっている人だけ。 結局のところ、どこへいこうとも、問われるのは「今、君は何ができるのか?」ということだけ。
子供にも子供の名札がついている。 他人の作った「こどもらしく」「こどもなんだから」という像を 毎日押し付けられている。 「友達だから」「恋人だから」「もうお兄ちゃんでしょ...
思春期の自我の確立と、大学生になってからの自分探しと、さらに大人になってからのアイデンティティの確立を混同しているようでは駄目だ。 これらを一概に厨二病で片付けてしまう...
その三つの違いって、 当事者以外から見て重要なのかなぁ。 同じ扱いで良いと思うけど。 (当事者にとっては重要かもしれないけれど)
同じかどうかはともかくどれも意味のあるものだよね
当事者にとっては其々の意味があるだろうけど 第三者から見た時にその意味を差別化する必要性は無いよね?
あの手の認定って要するに表現行為だからなぁ。 意味がないといえば意味がないけれどそれを言い出すときりがないような気もするし。 そこは思考を煮詰めていかないと、もしくは煮詰...
思春期の自我の確立の場合、 表現と承認欲求だよね。 例えば、Aさんは 「俺は俺だ!お母ちゃんにコントロールされるだけの人形じゃない!」 と表現することで始め、それを母親に認め...
いや、そうじゃ無くて「中2病認定」に対して、表現行為って言葉を使ったんだ。
おお、そうか。 自分にトラバついてるからてっきり。
厨二病には相手を蔑むニュアンスがあるけど そうは言わずに麻疹と表現した意図を汲んでほしいな。
だったらそんなレッテル貼りみたいな言葉を使わずにもっと誠実に向き合うべきだとも思う。
レッテル貼りしたくないから「厨二病」を避けたんだけど?
普段は確かに心優しく言葉使いも良い私たちでも おまえのあまりの粘着ぶりに完全な怒りとなった 仏の顔を三度までという名セリフを知らないのか
普段は確かに心優しく言葉使いも良い私たちでも おまえのあまりの粘着ぶりに完全な怒りとなった 仏の顔を三度までという名セリフを知らないのか
重さはないと思うけどなあ。 役柄を演じられないなら、それが誰であれ処分されちゃうし。 悲しいもんだね。
そう、処分されてしまうね。 でも、子供は処分されるまでに猶予がある。 少しくらい演じ損なっても許容される。 その許容される幅が大人と違う。 それが厳しいほど、抱えるのが大変...