2009-10-07

社会という世界に出るということは名札というものがつくということなんだ

大人になるということは名札というものがつくということなんだ

よく社会人の人や大人の人は、「●●として」という言葉をつかっているじゃないか

立場というものを使い分けていかないといけないんだね

いろんな「顔」があるということなんだね

それっていうのは、大変なことらしいんだよ

辻褄というものをあわせていかないといけないからだね

それって疲れることらしいんだよ

いろんなこと考えないといけないからだね

落ち着きというものがないよね

一つの名札というのがあって、それでやってゐればいい、という人なんて1人もいないということなんだ

ここだけの話をすると、学者なんかは割と一つの名札でやっていけるご身分に近いという話だけれどもね、それでもやっぱり、いろいろなことがあるということらしいんだよ

そんなにも、名札というシロモノがいろいろついてしまうことによって、「じぶん」という大切なこと空っぽになって無くなってしまいそうだけれども?

けれども、それだからこそ、自分らしく輝いていくことができるというのは大事なことなんだと

がんばれって言いたい、社会人の人たち

がんばれって言いたい、ショボい人間にみえるけど、じつは日本の明日を作るような可能性をもったような人たち

  • 頑張って名札に負けない大人になっておくれ

  • 名札にこだわるのは、自分の名札にコンプレックスをもっている人だけ。 結局のところ、どこへいこうとも、問われるのは「今、君は何ができるのか?」ということだけ。

  • 子供にも子供の名札がついている。 他人の作った「こどもらしく」「こどもなんだから」という像を 毎日押し付けられている。 「友達だから」「恋人だから」「もうお兄ちゃんでしょ...

    • 思春期の自我の確立と、大学生になってからの自分探しと、さらに大人になってからのアイデンティティの確立を混同しているようでは駄目だ。 これらを一概に厨二病で片付けてしまう...

      • その三つの違いって、 当事者以外から見て重要なのかなぁ。 同じ扱いで良いと思うけど。 (当事者にとっては重要かもしれないけれど)

      • 厨二病には相手を蔑むニュアンスがあるけど そうは言わずに麻疹と表現した意図を汲んでほしいな。

        • だったらそんなレッテル貼りみたいな言葉を使わずにもっと誠実に向き合うべきだとも思う。

        • 普段は確かに心優しく言葉使いも良い私たちでも おまえのあまりの粘着ぶりに完全な怒りとなった 仏の顔を三度までという名セリフを知らないのか

    • 重さはないと思うけどなあ。 役柄を演じられないなら、それが誰であれ処分されちゃうし。 悲しいもんだね。

      • そう、処分されてしまうね。 でも、子供は処分されるまでに猶予がある。 少しくらい演じ損なっても許容される。 その許容される幅が大人と違う。 それが厳しいほど、抱えるのが大変...

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