さしたる根拠もないのに、情熱的にのこり全部エンドレスエイトだと主張する人が少なからずいた。これは何なんだろう、と考えていた。ひとつには、希望的観測をすることで落胆したくないというなかば無意識の防衛反応、ということがある。しかし、このひとたちの何というか、逆切れ的な、むしろそれを望んでいるかのような口ぶりは、それだけでは説明がつきそうになかった。
思うに、ひどい目にひとはしばしば遭う。そして、それは、考えの違いによるものでしかなかったり、誤解であったり、優先順位の違いだったり、単純な事実認識の違いだったり、ということが多くて、悪意によるものばかりではない。しかし、相互理解が足りてないと、「こんなひどい目にあわせるということは、私が苦痛を感じるということそれ自体を目的にしているに違いない。そうでなければ、こんな馬鹿げたことをする筈はない」という推論をしてしまう。しかし、ひとは他者の苦痛それ自体を目的にすることは滅多にない。単に、他者の苦痛の優先順位が低いだけで、目的は自分の利益や目的だろう。
そういう悪意の推定に陥ると、ありそうもない愚行を相手がするに違いないと、大まじめに考えるようになり、それに対抗する手段も、エスカレートする。
誰でも自分なりの正義と合理性にのっとっているつもりであるという前提を置くことは重要で、攻撃的なことを考える人はたいてい防衛のつもりなのだということを忘れると、相手が、悪のための悪、加害そのものを享楽しているのだという妄想的な想定に陥る。