シャワーを浴びながらふと考える。あの時、なんで死んでしまわなかったんだろう?もしあの時に僕に今の僕が伝えられることがあるとすれば、何年経っても、何も変わらないよ、って。痛みも苦しみも寂しさも何一つ変わらない。そりゃ、毎日は普通に生きられるようになる。仕事だって前に比べたら全然出来るしお金の心配もしなくてよくなる。でもそれだけだ。何一つ僕は変わらない。こうやってシャワーの中で、地下鉄の中で急に泣いたりする。苦しみが変わらないのなら、あそこで逝ってしまってもよかったんじゃないか、と長い間長い間、思い続けている。よかったことは、親を泣かせなかった、親孝行を出来ていることくらいだ。あの頃親友だと思っていつも一緒につるんでいた連中とは今、全く交流はない。
それでも変わったことはいくつかある。僕には新しい友人が何人か出来た。友達は、きっと、選ばなきゃいけないと思っていた。他人の許せないことが多かった。今は腹の立つことは多くても、それはそれだと受け入れられるようになったのかな。でも何も変わらない、と云うのは、その親友達が僕にしたことを許せていないからだろうな。新しい人たちはみんな僕のことをつきあいやすい人だって言ってくれるしそれは嬉しいんだけれど、ある瞬間から要するに僕は目をつぶって生きているんだ。鈍感になることでしか、僕は僕を受け入れられなくて、たまにこうやって吹き出してくる。
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浸ってるところ恐縮ですけどね、その「寂しい世界」とやらは終着点じゃないですから。 それが孤独と向き合って何かを為す人間の始発点なんで。間違えないでね。ようこそ。
続きが気になる