2009-05-10

モデル化とアメコミ映画

先日、DVDにて「ダークナイト」を見た。凄く良く出来た映画で、シンプルにいろいろな物が詰め込まれている。なるほど、これは評判いいはずだなあ、と感心した。

 

普通映画で、これ程までにいろいろと詰め込もうとしたら、やたら説明臭くなったり嘘臭くなってしまう。しかし、不思議とそういう違和感は感じなかった。その理由をなんとはなしに考えていたが、これは「アメコミ映画」という点が、大きなアドバンテージになってるのかな? と、ふと思った。

 

この映画は、「バットマン」というアメコミが元になっているそうだ。恥ずかしながら見た事はないが、「アメコミである」という事だけは知っていた。そのため、いわゆるSF的な設定や、テーマを過剰に表すような極端な人物造型も、「アメコミだもんね」と許容してしまっていたような気がする。

 

このような極端な設定や人物は、物事を単純に考えるための「モデル」としてとても優れている。頭の中で図式が簡単に出来上がるのだ。そして、図式がシンプルであるので、投げかけているテーマ(問い)もシンプルに伝わってくる。非常に明快なのだ。

 

普通映画でこのようなモデル化を行おうとすると、たちまち「安っぽい」「嘘臭い」「ありえない」というような面が先に立ってしまい、モデルを使って提示された問いを、「考えよう」という気すらなくなってしまう。

その点、ダークナイト自然に問いが頭に入り、「あーそーだよねー」なんて自然に問いに関して考えを巡らせてしまっていた。

 

もちろん、監督や役者の力量の問題も大きいだろう。バットマンの設定等は、嘘臭さを消すために(というか、SF好きの偏執的な書き込みかもしれない)、細かく描写されている。また、その描写が後の伏線であったりと、いろいろと「理由付け」をしている。

しかし、そういった点を考えても尚、普通映画よりは、「アメコミ映画」であることのアドバンテージが大きいのだと思う。

 

他人に何かを伝える際には、シンプルで相手に受け入れられるモデル作りをうまくする事が大切であり、モデル作りのためには、相手の持っている情報を利用する形で進められるのがベターなのかなあ、なんて事をぼんやり考えてました。

 

なんにせよ、面白かったです。

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