先日、Gyaoにて「戦国BASARA」を見た。凄く良く出来たアニメで、シンプルにいろいろな物が詰め込まれている。なるほど、これは評判いいはずだなあ、と感心した。
普通のアニメで、これ程までにいろいろと詰め込もうとしたら、やたら説明臭くなったり嘘臭くなってしまう。しかし、不思議とそういう違和感は感じなかった。その理由をなんとはなしに考えていたが、これは「BASARA」という点が、大きなアドバンテージになってるのかな? と、ふと思った。
この映画は、「戦国BASARA」というゲームが元になっているそうだ。恥ずかしながらゲームはプレイした事はないが、「パロディ物である」という事だけは知っていた。そのため、いわゆる歴史物的な設定や、テーマを過剰に表すような極端な人物造型も、「BASARAだもんね」と許容してしまっていたような気がする。
このような極端な設定や人物は、物事を単純に考えるための「モデル」としてとても優れている。頭の中で図式が簡単に出来上がるのだ。そして、図式がシンプルであるので、投げかけているテーマ(ノリ)もシンプルに伝わってくる。非常に明快なのだ。
普通の歴史物でこのようなモデル化を行おうとすると、たちまち「安っぽい」「嘘臭い」「ありえない」というような面が先に立ってしまい、モデルを使って提示された人物像に、「ノってみよう」という気すらなくなってしまう。
その点、戦国BASARAは自然にノリが先に立って、「あーそーだよねー」なんて歴史物に関して考えを放棄してしまっていた。
もちろん、監督や役者の力量の問題も大きいだろう。BASARAの設定等は、嘘臭さを消すために(というか、歴史好きの偏執的な書き込みかもしれない)、細かく描写されている。また、その描写が後の伏線であったりと、いろいろと「理由付け」をしている。
しかし、そういった点を考えても尚、普通のアニメよりは、「BASARA」であることのアドバンテージが大きいのだと思う。
他人に何かを伝える際には、シンプルで相手に受け入れられるモデル作りをうまくする事が大切であり、モデル作りのためには、相手の持っている情報を利用する形で進められるのがベターなのかなあ、なんて事をぼんやり考えてました。
なんにせよ、面白かったです。
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