2009-04-18

http://www.j-cast.com/mono/2009/04/15039522.html

子どもの頃、私は絵の才能があるという評価をされていた。幼稚園先生美術をかじっていて、「この子は天才だ!今すぐ専門教育を受けさせるべき」というようなことを言っていたらしいし、一応、全国的な絵画コンクールの賞ももらっている。大人になった今でも、これがさほど意味のないことだとは思ったが、父親はそれなりに私に期待をかけ、母親はただでさえ気難しい子どもだった私に、更に理解できない要素が増えることを嫌った。

母親美術などが大嫌いだったらしく、絵とか工作とかの話をすると機嫌が悪くなった。私はなんとなくそれを学習し、なるべく普通の子になろうというようなことを考えた。とりあえず、友達に女の子の描き方を教えてもらった。この女の子は、ピンクの肌をしていたり、顔のパーツが自由な配置をしていたりするわけではなく、きちんとセーラームーンなり、アニメ女の子である。

しばらくして周りの期待を大きく裏切り普通の絵を書くようになった私ははだ色の色鉛筆ばかりがなくなった。ある日、母親にはだ色の色鉛筆を買ってくれと言ったら、母親は「またなくなったの?」とあきれて言った。「○○ちゃんの肌ははだ色じゃないでしょ?この色を使っても女の子の絵は描けないよ」。私は衝撃的だった。

その後、試行錯誤してはだ色を出すことを考えているうちに、いつのまにか美術部に入り、美術学科のある高校に進学し、芸大に通い、今はアートだなんだ言いながら日々を送っている。折角、普通になりかけた私がまた「おかしな」方向に進むことに母は落胆したが、父は喜んだ。

母は美術など嫌いかもしれない。だが、私にとって一番、印象的だったのは母の「はだ色」の話だった。

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