2009年04月02日の日記

2009-04-02

有村様だ。

僕以外の全人類は賤民。

http://anond.hatelabo.jp/20090402164739

そりゃひどい話だね。

せめて「自己解決しました、お手数おかけしました」くらい書いてってほしいもんだよねー。

あんまり詳しいことを書いて、先方に迷惑がかかるかもってあとから思ったのかな?

検索で見つけた増田もいきなり答えを書かずに、とりあえず「見付かった」って書いたのはそのへんの配慮?

最初の質問の書き込みはサルベージできたけど、ここに晒すのは確かに気が引けるかも。

有村様だ。

賤民どもは僕を崇めろ。

http://anond.hatelabo.jp/20090402182553

「全ての事を何も言われなくても理解している」などということが果たして可能なのか?

別に全てではないんじゃないの?

ここまでは分かって欲しい、っていう範囲内のことを分かってもらえないと「空気読んで」になるんだと思う。

0か1かの話ではないので、お前も分からないことがあるんだから、他の人の分からないことも許せという主張は、ちょっと無理があるんじゃないかと思う。

じゃあその「ここまで」をどう線引きするのかというと、抽象的かつ非普遍的な話になるんだと思う。

でもそうであっても、同じ状況を体験した別の人がどれだけ感じ取れたのかで、妥当な主張なのかどうかが分かるんじゃないかな。

まあ、あなたは「多数派であること」を理由にするのには抵抗があるタイプの人かもしれないけれど。

有村様だ。

宮城にいる貴族の僕以外おしなべて賤民だよこの国は。

http://twitter.com/y_arim/status/1436845613

有村様だ。

僕は6言語を操れる。貴族の嗜みだ。

有村様だ。

僕以外の人間は賤民。

有村様だ。

okadaic達愚劣な奴隷階級を僕が導こう。

有村様だ。

僕は貴族だよ。僕以外おしなべて賤民だよこの国は。

http://anond.hatelabo.jp/20090402182716

さんざん言われてきましたが、20歳を過ぎると本当にあっという間ですね。

自分の番になるまで分からないもんです。

大事に過ごそうと思いながら、気がつくと年をとってますからね。

http://anond.hatelabo.jp/20090402165901

今見たら「1234users」になってた。ちょっと得した気分。ついてるついてる。

って書けばいいんだよね。

あれ?顔色悪いよ?

有村様だ。

僕以外おしなべて賤民だよこの国は。

有村様に仕えるokadaicです。

それは有村さんの魂が貴族だからだよぅ! 私は使用人根性がしみついた労働者階級なので、何かに「仕える」こと全般が嬉しくてたまらないのだ。でも、それだけが唯一絶対の素晴らしいことじゃない。貴族には貴族の素晴らしさがあるので、貫いてください。

http://anond.hatelabo.jp/20090402182439

そうですね・・・今まで結構楽な生き方をしてきただけに、最近色んなことに直面して戸惑ってます。

自分のためにも周りのためにも、乗り越えていかなきゃなりませんねー。

有村様だ。

ひれ伏せ稚魚ども!!

http://anond.hatelabo.jp/20090402180706

空気が読める」人って裸の王様と同じだよね。

私にも空気が見えますぞ王様!ってねー

http://anond.hatelabo.jp/20090402182150

24か…そうか…。

俺はもう27だぜー。彼女もタメだぜー。

そうかー…。

http://anond.hatelabo.jp/20090402180359

それはわかってるんだけど。

言葉暴力をいつも振るっているという解釈自体が

悪意のあるこじつけだと思わないんですか…。

http://anond.hatelabo.jp/20090402142657

↑これを書いた横増田です。変な誤解が発生してるようなので宣言しておきますが、

空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の人とは別人です。

ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/

「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」

↑こう書いたとおり、知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ない。まさに十人十色。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値利益もない。

「全ての事を何も言われなくても理解している」などということが果たして可能なのか?

 それでもなお、「空気を読め(=言われなくてもわかっていろ)」と要求するのであれば、それを口にする方だって「言われなくても教えられなくても理解している」のでなければ筋が通らないのではないのかね?

「知らない事、分からない事については大目に見てよ」というのであれば、他人が「知らなかった、理解が及んでいなかった」事についても大目に見なくてはいけないのではないのかな?

 端的に言えばそれだけのこと。

誕生日の前はうつ

…というのを高校のころから続けているわけだが。

毎年誕生日の前の数日、生まれてきたことが本当に辛くなるようで、

毎年この時期1度は空元気が切れてはスイッチが入ったように朝までぐずっている。

自分にはFランでも大卒の弟1(家業の跡取り)と今国立院生の弟2がいる。

幼いころ仕事の忙しい父とは滅多に遊んでもらえず、母親中心の育児を受けていた。

厳しく、そして本人は三女で下に長男という構成の姉弟関係に生まれた母には長子の気持ちなど理解できない部分が多いようで、

どちらかといえば男男女の一番上の父ならそれなりのシンパシーを感じられるのは父だが

母が嫁いだ時点ですでに病んでいた叔父(後述)の病理を一切説明していなかったらしい等が後ろめたかったのか

聞くべき愚痴すらもまだ小学校の高学年くらいだった娘に父は丸投げしていた。

わたしは母にとって「娘」で有り「弟たちの姉」で有り「家族愚痴などを話す為の夫」だった。

流石に耐えきれなくなった時、父に「お父さんが聞けばいいことまでわたしが聞いている」と泣いたら

「娘一人なんだから聞いてあげなさい」と返されてわたしは一体何なのか解らなくなった。

母が怖かった。

集団生活が怖かった。

鬱屈していた。

無気力だった。

多分行き遅れて居候し続けていた大叔母や

精神を病んで居て入退院を繰り返し居候していた行動が予測できず恐ろしい叔父に

母は子供らを関わらせたくないと必死だったのは解らなくはないし、

子供らがならないようにしたいと思ってたのも解ってる。

人との関わり方も苦手で「苛められっ子」だったと自称するのは実に馬鹿げていてみじめなものだが

自分という人間カテゴライズされると「苛められっこ」だったのは否定できない。

苛められたとき、「こなくそ!」と反抗的になるのには幾つかパターンがあって、

わかりやすいのは反抗を反抗で示すパターンでだと思う。

ならわたしの場合はどうだったのかといえば

「苛められるならならば自ら「苛められっこ」になってやる」

といった後ろ向きな反抗をしていた。

反抗することで更にいじめられるよりも、

いじめられっ子というポジションを維持することで何とか自分を保っていた。

他人との関わり合いが凄く苦手で、苛められっこを演じることで

「疎ましがられる者」というポジションを得て、それからどうかしようという余力が無かった。

居場所がないことより「疎ましい存在」という位置づけでも居場所を得たかったんだといまだとそう思う。

今となってはそのころに演じすぎた「苛められっ子」の意識が抜けきれず、

「どれが一体自分なのか」「自分は一体どういう人間だったのか」それがほとんど思い出せないし、どうしたらいいのか解らない。

母には「一番上でしょう」と言われ

父には「お母さんの話を聞いてやれ」と言われ

弟たちには軽蔑され

学校ではただでさえ少ない友達にも話せる内容でもなく

教師にはただただ失望感を覚え

学校という施設は地獄のようで

それでも休ませて貰えることはなく

泣くことも一人でしか出来ず

笑うのも叫ぶのも億劫

自意識だけは過剰なのに何も出来ない自分も感じていた。

社会からドロップアウトしてうつを患いパニック障害も併発し

大学では付きまといに遭いストレスで通えなくなり

最終学歴高卒になってしまったコンプレックスの塊の自分

親は多分何も期待してないというのはもう何年も前から自覚していて、

おまけに不倫ばかりをし続けた挙句50近くまで居候し続け、結局死ぬまで独身だった大叔母のことや

長女だということもあって追い出しがかかってこのところ結婚しろ結婚しろとうるさい。

結婚はしたい気もする。でも相手はいない。

仮に夫になるかもしれない人が出来たとしても、こんな自分を受け入れてもらう自信がない。

自分に自信がない。

せめて自分子供(いつできるのか・作るのかどうかは解らないが)が出来たなら一番上の子に

「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんでしょ」というような言葉は言わないようにしたい。

それが元で歪ませたり折らせたりするのが厭だ。

ここまで書いてきてこんな自分よりも大変な人など幾らでも居るだろうに

自分が可哀想」というのか「自分が辛く感じている」と思うことが厭で仕方ない。

そう思うことすら、優越感の表れなんだろうか。

自分が何をしたくて何ができてどう考えてるのかどうしたいのかどうすればいいのかわからない。

とりあえず発作を鎮める薬は飲んで今はちょっとだけ楽になってはいる。

よくこういうことを言うとさ自分がそこから出る努力しろとか環境を変える努力をしろとか

それ系のことを言われるんだけど、そういう努力する気力すら沸かせる事が出来ないのが一番つらいのに、

そういうことを言う人はいとも簡単にぽっと言ってしまうけど、無責任言葉だなぁと感じるよ。

だから人と話しているときにそういうことを言わないようにしてる。

人様の悩みや苦しみなんかを聞いて聖人面してどうこういったり

人の言動を断罪するようなそういう資格なんて多分ないのだから

そういう行動をしている自分俯瞰しては自己嫌悪する、そういうのやだなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20090402181332

今年24になったばっかりです。

6年以上付き合っているので、年齢的には妥当なところかなと思ってますが。

めんどくさいというか、家族職場の人に改めて表明するのが気恥ずかしいといったほうが正しいかも。

でもやっぱり社会的信用の為ですからね。

中学修学旅行の時なんだけど、俺の居た学校田舎で、東京に行く事になったんだ

その時、好きな子と偶然同じ班でさ、内心はしゃいでた

班で自由行動をとる日、地下鉄に乗ったんだけど、地元じゃ有り得ないぐらいの混み様で、凄く緊張したんだ

それはみんな同じみたいで、なんか落ち着かない様子だった

そしたら、その好きな子が俺の制服の袖を掴んできたんだ

周りに、俺以外の班の男子がいるのに、俺の制服を掴んでくれた

それがとても嬉しかった

その子の手は、恐いのか少し震えてた

俺は、その時気付かないふりをして、周りの奴らと喋ってた

急に、その子は腕に抱き着くようにより添って来てくれた

俺は、へたれ

「お、おい…」

みたいな事しか言ってあげれなかった

数秒して、その子は俺の腕を無言で離した

もう袖も掴んでくれなかった

何であの時もっとマシな言葉をかけてやれなかったのだろうか

今思えば、その子と俺はいつも一緒に居た

高校に上がってみんなバラバラになってからも、毎年年賀状を俺に出してくれるのはその子だけだった

俺は、気恥ずかしくて年賀状の返事すら書いてあげれ無かった

ちょくちょくメールも来た

でも、俺は素っ気ない返事しか出来なかった

車ですれ違った時なんか、わざわざ車から顔を出して俺の名前を呼びながら、笑顔で手を振ってくれた

だけどもうそんな事もない

年賀状メールも来ない

もう、その子は結婚したらしい

俺は、今も一人でこうして画面に向かっている

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん