そもそも我々の肉体からして、常に外から摂取した物質と入れ替わってるわけで(一ヶ月で全部入れ替わるだとか聞いたことがある)、「自分」なんて所詮そうした流れ行く何かの中に偶然生まれた吹き溜まりでしかない。
とはいえ、「我思う、故に我有り」であるのも歴然とした事実であるわけで。自分を構成するものが他と入れ替え可能だからといって、その総体である「自分が自分である」と自分で思っていること自体は入れ替えることができないし、する必要もない。
本当に些細なことでもいいから、ふと湧き上がってきた小さなこだわりを大事にしていくといいと思うよ。その集積こそが、誰とも取り替えることのできない「自分」になっていく、と俺は思う。
子供の頃から勉強して色々な知識を付けてきたけれど それは純粋な(数学で言う定義のように明白な)基礎知識ばかり. それらは物事を考える為に必要なもの(のはず)だった. 次第...
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いずれ必要になるときが来る。 そのときになればどの勉強が重要で、どの勉強が重要でなかったかがわかる。 のだけれど、 そういう状態に陥るのは現在の教育の失敗だと思う。 目的...
『考え方』くらい自分で考えなさいよ。