高校での三年間、俺はずっと「頭がいい人」の扱いをされていた。(その高校の偏差値は、63~66ぐらい。中の上、といったところか)
(あと「頭がいい」って表現はちょっと頭が悪いよねー)実際成績はそこそこ良く、一年時には模試で学年一位をとったこともあった。
まあ所詮は一年の模試だ。別に凄いことでもない。でも、それ以来「頭がいい」というレッテルが貼られるようになる。
レッテル/ラベル/イメージ 表現は色々ある。この偏見は、俺にそれなりの優越感を与えた。
だけどその頃から、自分の『できない』を見せることをひどく恥ずかしがるようになっていった。
そこで、努力すれば良かったんだけどねー。『できない』をヒトに見せないように頑張ろう!てさ。
結論を言うと、俺は全然勉強しなかった。けれど、「勉強できる人」という地位は捨てたくなかった。
ということで法螺吹き嘘吐きになりました。ちょっと信じられないくらい嘘をついたと思う。
実例を少し挙げよう
部活ある頃
友「一日どんぐらい勉強してんの?」
俺「えーと朝3h夜5hぐらいかな」
実際は1,2h程度。無勉の日も多かった
夏休み終了時
友「一日どんぐらいやった?」
俺「15時間!」
実際は5h程度。無勉の日も(ry
妖怪口だけ男
そんなこんなで誤魔化してったけど、誤魔化せないのが大学受験ですぅ。
滑り止めは明治法のみ!早稲田にちょっと出して、本命は某難関国立だー!って感じでぶつかってったら見事に明治以外全落ち。
(全落ちつっても早稲田は2学部しか受けてなかった)
だが!この受験内容は早慶や某国立だったら落ちても仕方ない。そんなこともあるよねって予防線でもあった。
果たして俺は俺のイメージを守り切れたのだ。
でもこの一連のイメージ防衛大作戦は俺にストレスしかもたらさなかった。
初めこそ(エセ)優越感にひたれたけども、嘘がバレないようにまた嘘を重ねていくのは非常に辛かった。
皆が受験の話をするたび縮こまり、話しかけるなー話しかけるなーと念ずる日々。
そーいった苦い経験を踏まえ
大学生になるにあたって、いくつかの目標がある。俺的大学デビュー
見栄をはらない
いや見栄をはること自体はいいんだけども、努力が伴わないことには…。
じゃあ努力しろって、できるようなら今までずらずら書いた問題はないわけで。「わからない」を言えるキャラに
規則正しい生活習慣
学問も含めて。習慣の力は凄い。努力がいらない。習慣づける努力は大変。今は勉強しない習慣があります。
で、次が一番重要なのだが
楽しくやる
辛いことはやらないという意味ではない。自分を否定しすぎないようにしようってことだ。
世間一般に短所とされているところだが、俺がこれから行くところは大学だ。「常識」やら「世間一般」はいわば敵だ。敵。