2009-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20090301123927不定期添削[校正増田]

留学を批判する上記増田記事だが、内容よりもまず目を覆わんばかりの日本語表現のつたなさに軽く目眩を感じる。それはまた『文法的には誤りではないものの日本語的ではない』表現が余りにも多いせいでもある。とてもネイティブの書いた日本語とは思えん。英語で書いて機械翻訳したものをベースに書いている感じがする。

一応以下に修正案を提示する。「○」が原文、「→」が修正案である。

[前文]

○個人的には見識を広めるというのも一つの利点であることは否めない

  →「ことを認めるのは吝かではない」または「と思う」で良い。「個人的」と「否めない」は不調和

○だが、しかしながら…少し反対である。

  →逆接を重ねるのは否定を強める場合なので、文末に「少し」がくるのはおかしい。「少し」だけ反対なら、逆接を重ねるような大げさな表現をする意味がない。

[1.留学必然性はあるのか?]

○もし君が…なのではないかと私は疑う

  →「と私は疑う」は、日本語的表現の場合、大抵は不要。ちなみに、その次の一文「アメリカ人でXXな連中は……たいてい□□する連中」などにも見られるこの手の『英語的重複表現』があなたの文章にはとても多い。日本語ネイティブなら、そこは普通アメリカ人でXXな連中は……たいてい□□する」という。

○「確かに遥かに羨望に値するぐらい勉強をしないで私より良い成績を残す人はいる。」

  →日本語ならこれは一文でなく二文に分けて表現した方が良い。例「確かに、私より遙かに勉強しないのに良い成績を残す人はいる。そんな人を羨ましく感じないでもない。」

○「不幸なことに…」から始まる段落

  →この段落はことにひどい。日本語の文章を意識しない翻訳調が、(たとえば「しかし」の重複、未来形が推量(義務)の助動詞に置き換わることへの無配慮、など)文章の意味自体を破綻させている。完全に再考(再訳?)を求めたい文章。ちなみに「…授業参加しなくても卒業できるように…」は「に」の間違いだろう。常識的に考えれば。(ついでながら、この「の」と「に」の誤用は、このあとも執拗に登場する。あなたの使っている翻訳ソフト(たとえそれが脳内ソフトでも)を修正した方がよい。)

○「もし君の母国英語であったならば」

  →おそらく多くの人が突っ込むと思うが、「母語母国語」と言うべきだろう。この誤った表現は繰り返し用いられているため単なるケアレスミスではないと思われる。

○「だが日本高校を出て大学受験をしていた君には、そして私には簡単は簡単ではないし、なかった。」

  →翻訳調過ぎる。「だが日本高校を出て大学受験をした人間には――あなたと同様、私にとっても簡単なことではなかった。」で良い。

○「SATは悲しいほどに克服するのに時間を要する。」

  →「SATを克服するには、悲しいほど時間がかかる。」

○「年間安くても250万以上かかる留学を少なくとも4年するわけだ。それはとても安くはない。

  →これはもはや日本語ではない。修正案「それはとても安いとは言えない額だ。」(注:この「とても」は『途轍もなく』から来た副詞veryではなく、『とてもかくても』の省略形であるところの呼応副詞でneverの意。)

○「毎日のように課さられる読書課題は」

  →「課せられる」。百歩譲って「課される」。

○「勉強をしないという選択は甘美なほどに甘い選択だ。」

  →『あなた自分が何を書いているか分かってますか?』と聞きたいレベルの重複。「甘美だ」で良い。

○「君は最初の1年を乗り越えられれば…君はたぶん生き残ることができるかもしれない。」

  →冒頭の「君は」及び文中の「たぶん」を削除すれば、まだ読めるレベル

○「だが君は本当に生き残られるのか?」

  →ティス ティーチャー マスト ビー シャンピニオン(『この先生きのこる』)…という冗談はさておいて、「ら」を抜く、または「生き残ることができるのか?」とした方が良い。

○「授業で全く内容を触れられなかった悲しみ君は耐えれるのか?」

  →ネイティブならそこは「悲しみ」だよね。この人、本当に「に」が苦手だね。ちなみに耐え『られる』だね。

○「君の懐かしい友達簡単なモラトリアムを謳歌しているのを聞いて君耐えられるのか?」

  →「は」の重複があると文意が不明になる。友達「が」が適切。

○「たぶんだが君は宿題を諦めて寝ているか諦めないで宿題と云う名の怪物に挑んでいるかだ。」

  →これは単なる悪文。「たぶん君は宿題という名の怪物に挑んでいるか、あるいは諦めて寝ているかしているだろう。」という順番の方が良い。

○「君は安易な留学という選択をしたことに後悔したことに気づくのにはすでに遅すぎた。」

  →ごめん、もう意味が分からない。英文自体の意味破綻していると思う。たとえば「君は、安易にも留学という選択をしてしまったことに気づき後悔するが、そう気づいた時には既に全ては終わっている。」とかならまだ分かる。「後悔したことに気づくのに遅い」では意味が分からない。



続編があるなら、英語よりもまず日本語力の向上を望む。

記事への反応 -
  • 個人的には見識を広めるというのも一つの利点であることは否めない。だが、しかしながら私は文系科目で(かつ学部で)留学というのは少し反対である。 1.留学に必然性はあるのか?...

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