だめだ! 納得できない!
なぜ派遣を切られた後、生活に困っているのにさいたま市職員やタクシー会社やラーメンチェーンや協議会職員や介護会社やJAおおいたじゃダメなんだ?
車を作る仕事はもういらない、絶対数が足りていると言われても転職を考えず「仕事をくれ」といい続ける理由はなんだ?
体験してみろと言われても、今の職をやめるわけにはいかないよ。頑張ってついた仕事だし。
でも、もし自分が派遣社員で職を切られて、どうしても他に仕事がないんならさいたま市等に応募するよ。生きるためだもん。なんでそれをしないの?
そもそもそうやって「体験してみれば」とかむちゃくちゃなことを言うのは「理解しなくていい」ってことなのか? そうとしか思えないんだが。
この感情を納得させてくれよ。
俺は割と涙もろい。何でもかんでも泣くわけではないが、ツボにハマると映画館でも号泣してしまうことがある。その感想を人に話してる最中に思い出し泣きしそうになったりする。
その話はまあいい。たまに見かける「俺、本とか映画とかで泣けないんだよね。」ってアピールする人、彼らは何がしたいんだろう?
「素直に泣ける君たちがうらやましいよ」っていう意志表示なのかとも受け取れるんだけど、正直こう言われるとものすごく腹が立つんだよね。泣けないなら泣けないで、別に主張することないのに。自意識過剰って言われそうだけど、バカにされてる気分になる。別にこういう涙もろい性格は変える気もないし、自分と同じような奴のほうが付き合ってて楽しいし、人間として好きなんだけど。つまり簡単に泣く自分が結構好きなんだけど。
恋人が白血病で死ぬような映画で泣く人のことをスイーツ(笑)とバカにするけど、そういう人のほうがまだ信用できるんじゃないかと思ってしまう。
特定の超ヤリチン・ヤリマンのエイズキャリアが極端に多人数とやりまくってる、というケースだとそう単純でもないんじゃない?
スケールフリーネットワーク的な感じになって。
一番エイズ患者の多い東京ですら1500人に一人くらいしかエイズに感染していない
HIV感染者と生でセックスしたって感染率は僅か0.1%。ゴムを付ければまず感染しないレベル。
彼女はホームのことをご存知で?
その価格が無意味かどうかは人によるんじゃないの? 増田にとっては理解できない値段でもさ
払う奴は無意味じゃないと思うから払うわけで…
そういう潜在需要を喚起するという点で、値段を上げてることに意味はあると言えると思うけどなぁ
(金持ちにはなるべく金吐き出してもらった方がいいっしょ、金持ちが高く払うかもしれないものを安く売っちゃうのは経済にイクナイw)
誰かにとってはそれだけの価値があるってことで、いいんじゃないの
ワインすべての値段を上げてるわけでも無いんだしさ
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090118/wlf0901181801000-n1.htm
「やっぱり」の一言しか出てきませんな。
さっきそこそこに仲の良い後輩(男)にDVD焼いてあげたんだけど
渡した瞬間に透明なケースの中に毛が!!!!
同じパッケージのものをもう一つ私物で持ってきていて、
渡した物を間違えたと悟って、とっさに換えたんだけど…
アレは何だったのか!!!!
髪の毛?????
それでもやだけど
し、下の…!!!!!
あああああああ
どさまぎで、ささっとソレを払って誤魔化したので、怖くてよく見てない…
どうしよう!!!見られてたら、ていうか見られたにちがいないし
うああああああああ
てか、何であんなものが????嫌だ!
死にたい!
こういうと起動すれば良いんですか?!!!!
誰か記憶にdelキー押して!!!!!!
現実にはあり得ないような写真を撮ってた写真家もいるし、だまし絵的写真も数多くあるわけで
写真だとチャチだとは言い切れないと思うけれど
想像したものを描くっていう点では記憶をダンプする行為と同じじゃないかなぁ。記憶の意味が広くなっちゃうけど。
絵画が全て廃れたとかいう話をしたいわけじゃなくて、写実的な絵画って意味がないよなぁ、という話です。
彼らの存在が(彼らが漫画そのものだとしたら)価格を無意味に釣り上げてるだけな気がしたんだよね。
ワインなんて本来美味しく飲めればいいわけじゃん。そういう意味では、シェフとかが付加技術としてワインの飲み方とかを知ってればいいだけな気がした。
ふと思ったんだが写真登場以前の絵画ってのは記録+記憶だったのかもな。
ところが写真ってのは(比較的)お手軽に記録できてしまうもんだから
記憶を残す媒体だという意識が絵描きの中にも広まっていったんじゃなかろうか、と。
写実的に描くって言ってもその人なりの演出が色濃くなって行ったんじゃないかな、と思う。
って思って調べてみたらWikipediaにあった