2008-11-28

育ちが悪い

 確か白州正子だったと記憶するが、かの魯山人を評して「かわいそうだけれど、あの人は育ちが悪いのよ。」と対談か何かで発言していたことがずっと気になっていた。

白州正子は、育ち云々に対しての説明としてあるエピソードを語った。

「たとえば、私たちと話をしている最中に、ほかにもっと有力な人物(このあたりおぼろげ)が現れたら私たちをほったらかしにして、そちらのほうへ寄っていくところがね。」

 自分をないがしろにされて不快にならない人間など、そうはいないだろうし、ましてや白州正子のような気位の高そうな人なら尚更だなと、その時思ったことを覚えている。

 学生の頃、「ありがとう」と「ごめんね」をやたらケチるひとがいた。こちらとしても見返りをもとめて何かをすることはないが、

一言お礼を述べる手間を省くという彼女の行動規範は、これまでの人間関係にはなかったもので、少し符に落ちないでいた。だからといって、それを直接彼女に告げる勇気はなく、もやもやしていた。

 そのようなことをたまさか祖母に話したところ、

「かわいそうだけれど、育ちが悪いのよ。そんなこと(お礼を言わないよねなど相手を非難するようなこと)は言ってはいけないよ。」と顔をしかめて、すっぱいものを口に含んだときのような表情で言われた。

いい大人の年齢になって、ああ、なるほどと合点がいくことがある。

「育ちが悪い」などという物言いは、それこそ何様ですかという傲慢な人物と受け取られかねないから、育ちが良いとされる階層の人々は、黙って見守るあるいはなかったこととしてやり過ごすのだと、最近思うようになった。

誤解してほしくないが、この文脈での育ちが良い階層とは、富裕層と必ずしも一致しない。

自分と同等の者、あるいは目下の者にも礼を尽くす。そもそも「礼を尽くす」という思考が行動規範に組まれていないひとも多い。自分も気をつけたいと思うある日のことであった。

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