http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810240292.html
上記より引用
こういう一見ものわかりよさげな主張が一番危ないんだよね。
こいつは仮にもジャーナリストの端くれのくせに「表現の自由」をまったくわかってない。
Chim←Pom が空に「ピカッ」を書くが自由なら市民がそれに抗議し批判するのも自由に決まってるだろ。
彼らが世間の「風潮」やら空気やらを読んで、批判されるかもしれないしやめようぜ、と考えるのは自由だ。
だいたいこの主張の根本の論理だけ取り出したらエロゲ規制派の論理とまったくいっしょじゃねえか。
そもそも表現の自由とはなにかっていうと、アイザイア・バーリンが言うところの「××からの自由」ってやつだ。
free だ。sugar free とか smoke free とかの free だ。
もちろん、表現の自由は「表現からの自由」ではない、「表現についてのなにかからの自由」だ。
なにかとはなにか?
資本?
マルコポーロ事件に見るようにそれも無視できない。
しかし、そんなのは二の次三の次である。
表現の自由の最大の敵とはなにか。
それは国家である。
違う。
実際いまわれらが日本政府は表現の自由ちゃんのかわいいボディにその薄汚い手を伸ばし彼女を犯そうとしているではないか。
そして、もしかすると二番目の敵は上記の記者のような無理解かもしれないのだ。