PCに疎い家族に対して説明しようとする、またどんな話でも、何か話してみようとすると、
どうしても自分はイメージを言葉にあてはめて表現するとき、次の言葉が思いつかなくなってしまう。
一度問い詰められてしまえば、頭が真っ白になってしまって、それがどんな穴のある内容でも、
自分はそれに自分の意見で反論できるまでに、一度落ち着かないといけない。
別に役者・声優のような声質を望んだわけでもないけど、声が他の人に比べてどうも悪い。
自分は話すのが苦手。
自分ってそうだよな、と何度も思いながら、その度にすぐに辞めてしまった前職のことを思い出す。
正しくは辞めさせられたのだけど、会社側の文書が「一身上の都合で」だというのだから
会社としてはそういうことにしたいのだろう。ここで憂さ晴らしにその昔話をしてみる。
見苦しくてごめんなさい。
前職の内容はインターネット接続についてのコールセンターのオペレーターだった。
行き場を失っていたときに、「PCに造詣があるから」と、自分のオタク的な側面をありがちな視点から見ていたからだろう、
親からの勧めだった。僕はその話に無謀にも迷わず飛びついた。
知識についてのもの覚えは、まあ慣れてるから、良かったほうだと思う。
だけど、ひとたび実践的に喋ってみれば、舌の行き届いて無く、張りの無い声に軽く絶望した。
時には迂闊な言動に自覚不足を一喝され、自分の不甲斐なさに人の前で見苦しくも自然に出てくるベソを垂れてみたり
研修で実践的に電話を1、2本取ってみたところで、人事部長から正式にクビを通告され、オフィスに出入りする権利が剥奪、数日後に郵送で退社届の文書が届いた。
理由は「言葉に詰まってしまうことが多いから」らしい。自分は無理な理由までは直接聞かなかったのだけど。
周りからは「会社が悪い」と慰められたけど
面接のときに「喋るのには才能が要る」と散々釘を刺されてこのザマだったことが悔しくて、
自分の救いようの無さに二日は枕に向かって泣いた。
中学生の頃、僕は一部の行がうまく喋れないほど滑舌が悪かった。
若干頭も弱かったらしいので、相手にとってそれが面白かったらしく、部活でそのことを弄られ続けた。
よくよく聞いてみれば他な子たちもあまり人のことは言えなさそうだったが、自分に比べればそうでもないのだろうと思っていた。
友人とはよく喋ってたけど、好きな話になると声がとたんに大きくなって、それ以外だと、とたんに口をつぐんで小声になってしまう極端な自分が嫌いだった。
高校生の頃、面白いボケもツッコミもできず、中学の延長で弄られ続けた自分は、
一人の友達を作ることも放棄して、ただ弄られ続けることを選んで、それから人と喋る機会はどんどん少なくなっていった。
人と喋らなかったのだから、喋ることは下手で当然なのは自覚してる。
いつ上手になれるのか、その機会を伺っていたのだけど、今はもうその伸びしろすら失った、絶たれた、またはそもそも無かったように思える。
それは自分が挑戦してきた何に対しても、その思いを持っているんだけど。
そういえば、大学に行かなかったのも、大学を「お友達を作って楽しむ場所」としか見てなかったから・・・
でも本当は、それは合理化という嘘で、本当は勉強ができなかったしやらなかっただけで、つまり努力が嫌いだからだよね。
努力をとことん放棄し続けたからこそのこの身の上か。
そんなことを思いながら、あれからこうして僕は今も何もせずに自分の部屋に引きこもる。
あのね、気持ちは分かるし、辛いと思うんだけど、 前増田に書いていた「どうしても吃音になっちゃう人」に比べれば、全然状況はいいと思うのね。 増田の場合、練習すれば向上が見込...