つまみ食い人生というのは、たとえば小学生だったら小学生らしく遊んでいるし、中学生になったら中学生らしく部活に打ちこむし、高校生になったら高校生らしく受験勉強するし、大学生になったら大学生らしくバイトしたり恋愛するし、四年生になったら四年生らしく就職活動して、会社に入ったらサラリーマンらしく昇進のために仕事を頑張るっていうふうに、節目節目で切り替えて、状況に最適な生き方をしていくことなんだが、後で振り返ってみると100%誰かに利用されているよね(しかも秀才じゃないからどれも完璧にこなせないで半端になる。つうかその場その場で完璧にこなせっていう強迫観念がただの妄想だった)。要するに自分で考えて好きなところに行けばよかったんだ。必死で模範に合わせようとして疲れるだけだった俺の人生、みじめ。
「後で振り返ってみると100%誰かに利用されているよね」って、学生時代は誰に利用されていたと言いたいんだ? 両親か?
社会だろ。
システムの維持に一役買っていたというわけだな。
「…していくことなんだが」と、さも常識であるかのように書いてるけど、そういうのを「つまみ食い人生」と表現するのに違和感がある。
つまみ食い、というより、指示待ち人生、つーかね。 ただ人生のいいとこつーのは、それはそれで修正効くとこかな。人間の脳の可塑性は半端じゃないから。 だって年取ってから眼鏡...