あなたが幸せだとしたら、それはあなたの努力ではなくて周りの環境と出会いが良かったからだと思います。自分の努力だと思うのはうぬぼれです。
それもまた極端であると思う。そこはきちんと分けて考えねばならない。
1 努力して成功した人
3 少なくとも2の人以上に努力しているが、報われない人
4 努力していなく、成功していない人
3の人は、特に2の人がしたり顔で「努力が足りないんだよ、キミタチは」というと腹が立つから、つい「幸せなのは、環境がよかっただけで、お前の努力なんかじゃない。自惚れるな」といいたくなるのだろうが、それはあくまで3の人が2の人に言えるだけの話であり、不幸せな人成功していない人の中には、4も多数いることを忘れてはいけない。そんな言葉を吐きたくなる気持ちは分かるが、4までもが調子に乗り出す。あまり極端に走るのはよくない。
努力だと思うのは、自惚れだ、お前らなんか、環境がよかっただけだ(そして俺はたまたま環境がダメだっただけなんだ)という考えもまた、自惚れ要素が多分に入っている。
努力をしたから成功した、幸せになった、という人も実際にはいるのである。苦しい事実かもしれないが、認めるべきだ。
現実にはきっぱりと4つに分かれるのでなく、ボーダーラインがかなりあいまいになりながら存在しているわけだが、何にせよ努力のおかげで達成した人もいれば環境要素が大きい人もいれば、半々の人もいれば、ソレは色々だ。もっと努力しなきゃー、という大きなお世話を言われ腹が立ったからといって、「成功している奴らは、全部、たまたま運がよかっただけだ」と拗ねるのはあまりにガキっぽい態度である。自分自身を貶めるだけだ。そういう反抗の仕方ではなく、「あなたは努力をして報われたのかもしれないけれど、僕だって同じくらい努力はしたのだ」と事実を見せ付けるだけでよろしい。それが通じない人にはもう関わるだけ無駄だ。
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物事が存在すると言う方が立証する責任がある。それが出来ないならないのだ。ネッシーは居ないのだ。