最初に、これは23歳の誕生日になる前に
自分の考えを言葉に表しておきたく、書いてみたことであり
誰かに考えを押し付けるものではありません。
一部矛盾したところもありますが、それを含めてお読みください。
(世の中どうにかしたいというより、ただの自己満足ですから。)
すべてのものには、デメリット、メリットがあるという前提で書かせてもらう。
その1つとして、言葉も例外ではない。
言葉のデメリットを言葉でしか説明できないのが、なんとも悲しいのだが
ある概念や目に見えないものがあったとき、それを言葉にすることはよくある。
これは、目に見えないものだ。
使うとそこで衝突することがある。
それが『神』と言う言葉だ。
西洋、イスラム文化では絶対的なものとして使っている、そして文化的には指しているものは違う。
東洋では、また別のものとして使われている。もっと一般的なものであり
万物のもの全般と言う感じがする。
ただ、個人的にはどれもいきつくところは同じような感じがするのである。
結局、人の人知を超えた何かのことを指している。
それを説明するために、たくさんの表現や教えや話があって
それを信じている人がいる。
もちろん、そこで話と言うのはたくさんあって、文化によって
内容も異なる。
でも、いきつくところは同じものを指しているのではないかと思う。
それが、今の自分がだした結論である。
クリスチャン家庭で生まれ育ち
同時にキリスト教のことも良く知っているという自負がある。
ただ、知っているのであって信じていることとは異なる。
教会の教えをすべて信じることはどうしてもできない。
でも、すべてのことを否定するつもりもない。
見えない何かの存在も否定するつもりもない。
どうしても疑問に思ってしまう。
言葉は違えど
つながるものがあるという確信はある。
ただ、どれもすべて表現や考えが異なる部分があって
それでどうしても衝突してしまうところがあるのが悲しい。
自分は相手にどうしろとか言えるような人物でもないので
どうしろとは言いたくない。
ただ、本人が望むものを選ぶことが正しいのではないかと思う。
そして異なる相手を否定するのではなく、受け入れてあげることが
みんなが幸せに生きることに必要なのではないかと思う。
読みにくい文章ではありますが、
最後までお読みいただきありがとうございました。