昨日は、サバイブSNSがダメな理由。に便乗して、色々と文句を書いてしまいました。
反省しています。まだ手探り状態で、貧困者の意見も反映されていないでしょうから、
これからなんですよね。
貧困者は手を挙げるだけでも大変だと思います。少しでも、厳しい状態にあるなー、とか、
将来もしかしたら、貧困に陥るかもしれない。って不安がある人は、自分の意見を出して欲しいです。
というか、誰もが貧困に落ちる可能性があるんだから、ほとんどの人は無視出来ないことです。
・・・落ちたら、戻ってこれないかもしれませんよ?
って、脅してもしょうがいないので、僕の意見を少し。
努力するには原資がいる。ってエントリーがありましたが、努力も出来ない状態になってしまうことがあります。
貧困になると。判断能力はおろか、自分でも支離滅裂なことをしているとわかっても、それ以外に出来ない。
もがくことしか出来ない状態になったりします。傍から見れば、さぞ見苦しいでしょうね。
見苦しいけど、本人は必死だったりします。それしか手段がない(出来ない)のに、周りからは非難を受けます。
非難の声しか聞こえず、本人を支える人がいない。人と話して笑い合う時間もなければ、愚痴を聞いてもらう時間もない。
そもそもそんな相手もいない。本人との関係性のある者は、非難を与える存在でしかない。
これが”貧困”だと僕は定義してます。
この非難は必ずしも、非難ではないかもしれません。本人を考えている場合もあるでしょう。
だけども、その思いは本人には届かない。本人がその意図を読み取るだけの余裕も、判断能力もない。
こんな状態に陥ったら、ほとんどの場合、励まし言葉としての定型文や、よくある”お叱りの言葉”は通じません。
そんなことよりも、今本人が重要視していることよりも、もっとちょっとしたことが大事だったりします。
視野が狭くなっているので、道端に咲いている花が綺麗だとか、空が青くていいな、とか、そんなことにも
気付かない状態。
本人が忘れていることや、低く扱っていることを、気付かせてあげることが重要じゃないでしょうか。
努力をする原資って、そんな日常的なことから手に入るんじゃないでしょうか。
僕の経験談だと、
家事をしていると、心が洗われます。誰かのためでなく、自分のためにやるべきです。
行き着けの店の店員との、一言二言のお喋りが楽しみだったりします。
こんな小さなこと(と思っていた)でも、支えになります。
家事をすると、雑念が減り、楽になります。最初はお皿一枚から始めました。
出来ることから、ほんの少しでも、やること。そんなことすら、きっと忘れています。
努力するだけのエネルギーがないのに、自分の心を削ってまで、どうにかしようとする。
それも貧困者の特徴だと思います。
出来なくてもいい、でも少しでも出来たら、喜ぼう(自分を褒めよう)
そんな心の余裕を持たせてあげることが大切でしょう。
方法や、情報よりも、目の前にあるものの大切さを気付かせる。
そんなことが必要では?