2008-04-11

ネガティブコメント論:自由からあえて逃れる人々

古代ローマ末期には「自由」なはずだった市民は、城壁の外に荒れ狂う暴虐を恐れるあまり、みずから大土地所有者=領主の奴隷(コロヌス)となりさがり保護を得た。自由というのは危害を受ける自由ではないのだ、そのことを忘れるべきではない。

ネガティブコメントが荒れ狂えば、それを恐れる人々はますますmixiのような城壁の中に逃げ込むようになり、実質的な「自由」は大きく損なわれるだろう。いくら城外が自由であっても、人がいなくなっては意味が無い。

なお、領主がコロヌスを守る制度=封建制度は、後に立ち現れる主権国家によって打破され、国家の力によって市民保護が果たされるようになった。ネガティブコメントのような行為によってネットが細分化されることがあれば、ネット情報伝達効率を落とすことになるのだから、それを嫌った国家公共の福祉の名の下に介入することもないとは言えない。別にそれは悪いことではない、自由を履き違えて最低限の倫理を忘れた人々が悪いのだ。

こういってもわからなければ、こう言い換えてもいい。自由なら何をしてもいいなら、アキバ変態パフォーマーと何も変わりはしない。

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