最初の「言葉では変わらない」というのは、物事のある一面的な真理について述べているだけであって、それは「たとえ論理的に正しいと思われる言葉であってもそれで世界が動くワケではない」っていう。でもそれは当たり前のことで今更嘆くような話ではない。歴史の必然性というのは、論理的整合性や正当性よりも、もっと根深いもので、たとえば人々の意識の底にアクセスすることでしか見えてこない。
けれども「コトバ」はその人間の意識のありよう自体を変革する能力を持っている。というか、コトバの構造そのものが我々の意識のありようの反映だから、コトバを変革することは人々の意識を変革し、ひいては世界と時代を変革する簡単にして唯一な手段なのだ。
たとえば「自由・平等・博愛」というコトバが何を成し遂げたか。「進化」という言葉がどれほど人々の思想を変化させたか。あるいは「無意識」というコトバが……。
コトバには本当にそれだけの力がある。無力なのは我々自身の方だ。