2008-01-01

そりが合わない両親との決別の第一歩

今朝ふと私と両親の関係のことを「そうか、これは”そりが合わない”というんだ」と気づいて「両親とそりが合わない」で検索したら「毒になる親」という記事に辿り着いた。

そこであれこれ読んで思い当たることばかりでなるほどなぁと思い、しばらく考えてから「そうか、彼らを忌み嫌う必要もないんだ」と気づいた。忌み嫌うということは心のどこかで彼らに変化を期待してるから。でもどんなに期待しても話し合っても彼らは一生変わらない。実際話し合っても謝らせても半年持たずに元に戻ったし。つまり期待すること自体が無意味なんだ。赤色に「黒くなれ」と念じてそうならないことを恨んでも、赤色は赤色なんだしそれはしょうがないんだから。

そう思い至ると諦めとも絶望ともつかない不思議な感情になった。彼らは、彼ら。自分は自分。所詮、私ではない他の人。仕事をしてると”嫌な奴なので仕事上のつきあいだけに留めておく”という人間が必ず現れるけど、つまり両親ともそういう関係性でいる方が私にとって健康的なんだな。”カウンター席でラーメンを食べるときの隣の人”ぐらいの距離感でいる方が。何の期待もしないし何を思われても気にならない。そういう関係

そういう境地に達したので、私は今まで心の中で彼らのことを呼んでいた「馬鹿」「精神異常者」という呼称をやめて、父のことを「山田さん」母のことを「佐藤さん」とそれぞれの姓で呼ぶことにした。「ファーザー、Fを取ったらアザー、他人です」というCMがあったけどあれはある意味真実だったんだなと思う。しかし忌み嫌うこともない人間関係って完全に終わってるなぁ。今は早く金銭的に自立してこの家を出て行きたい。今日は親からの卒業の第一段階が終わったと思う。

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