2007-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20071229005243

逆に、なぜ、「いつか終わりが来るなら、人生には意味がない」と考えるのかを突き詰めてみたらどうか?

そして、君は、「いつか終わりが来るなら意味がない」と考えるのは、人生に対してのみか、それとも全てに対して思うのか?後者であれば、その論法でいけば、人生どころか全ての物には意味がないとなるが、君はそう考えているか?僕としては、全ての物には意味がないのなら、とりたてて今更、意味の無いたくさんのものの中の一つである人生意味がないと騒ぐ必要もないと思うし、すべてのものに意味がないなら、意味がないという言葉自体の意味がなくなるように思うから、後者はどうかと思うのだが。

そして前者だとする、人生に対してのみそう思うとするならば、何故君は、他の物に対しては思わないのに人生に対してだけは「終わるから意味がない」と考えるのかを突き詰めてみたらどうだろうか?

そうすれば生きる意味が分かるよといいたいのではない。ただそうすれば、何かしらの思考のきっかけにはなるんじゃないかと思うからだ。

個人的には生きる意味というのは特にないとは思う(意味がある、ない、という言葉自体、曖昧すぎて何とも言えないが)。強いて言えば遺伝子を後世へ運ぶ、などか?でもそれを僕が実行しなければいけないギリはない(と遺伝子に言うのもなんだが)から特に気にしてはいない。たまたま僕は、今この時代に、人間という種の生物のもとに生まれてきた生物の一つ、というだけに過ぎない。それ以上の意味も、それ以下の意味も特に無い。と考えている。君と同じように、どうせ100年後には僕はいないのなら、別に今死んだっていいじゃないか、と思う事もある。そしてそれは有る意味真実であるとも思う。確かに今死んだって数十年後寿命で死んだって、何がどう変わるわけでもない。宇宙全体から見たら、違いなどほぼゼロに等しい。

それでも何故今死なずに生きているかというと、死ぬのが怖いのと、「これから何か楽しい事があるかもしれない」という希望があるからだ。

そもそも「今死んだってよくないか」と考える時というのは、少なくとも僕の場合、現在が何も楽しくなく、希望もなかなか見出せない、不安だらけ、そんな精神状態のときだ。要するに、何故死なずに生きているか、という問いに対する、二つの答えのうちの一つが潰えた状態なのだから、必然的に、そんな時は死なずに生きている理由は「死ぬのが怖いから」だけになる。

希望がないと、「今死んだって同じじゃないか」と考える。希望があるなら、今死んだら同じではない。楽しいことがあるかもしれないのにそれを捨ててしまうことになるかもしれないからである。

僕も、今死んでも同じじゃないか、と考えたり、いや、やっぱりまだ生きていたい、どうせ死ぬなら寧ろ逆に、ギリギリまで模索してみたい、と、様々に揺れている。でもそれでいいんじゃないかと思う。別に定まっていなくたっていい。あるいはそのうち定まるかもしれない。あるいは死んでしまうかもしれない。それはそれで、僕はいいんじゃないかと思ってる。もし自分が本当に希望をなくして、死んでもいい、と心から思えるようになったならば、(今のところそれはまだない、なんだかんだ「死にたい」とか言いつつも、実際に死ぬ事を考えてみると「それならまだ、あれを腹いっぱい食べて、あそこへ旅行へ行きたい。それにやっぱりまだしたいことがある」などと現世に未練たらたらで死ぬ気がゼロな自分に気がつく)それはそれでいいんじゃないか。そういう時が来たなら、それは僕にとっては確かに本当に生きる意味がなくなったのだから、死ねばいいと思っている。しかしまだそれが来ていない今は、とにかく希望に向かい邁進するしかないだろうと思っている。

逆に言えば、本当に自分で死ぬならば、その希望を一切無くした状態で死なねばならないと思っている。少々危険かもしれないが、例えば君も、どう生きればいいかわからないのなら、いっそ逆に、死ぬ為に、今の希望を全て潰していき(片っ端から絶望していくという意味じゃなく、やり遂げてしまう、あるいはやり遂げられずとも自分の出来るところまでやって諦めるという意味である)、生きる意味を無くすまで生きよう、死ぬ為に頑張ろうとしてもいいのではないか。それをしていたら、また思うところが変わるかもしれない。死ぬのを目標にするのもありなんじゃないか。それで実際にやり遂げて死んだとしても、それはそれでいい。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん