民放のNHKと言われる、TBSらしい硬さ、生真面目さ、正統さを、
人々が支持した時代だった。
テレビ文化の最良の部分を確かにあの時代には作っていたのだ。
80年代に入って、民放の雄はフジテレビになり、テレビは軽くなった。
90年代にはその地位は日本テレビが占め、テレビは愚劣になった。
TBSは万年3位に甘んじ、振り向けばテレビ朝日と言われるようになった。
今ではそのテレビ朝日にもたびたび抜かれている。
テレビ文化のリーダーではなく、フォロワーになってはや数十年、
TBSの内部にもその黄金期を知る人はもはや少数派なのだろう。
その下手なコピーになっている。
ただ、その悪い部分は何十倍にも凝縮して。
他社に較べて圧倒的に数が多いし、内容も非常に悪質だ。
TBSを叩いているのは一部の偏った人たちだとTBSの中の人たちは当然のように思いたがるだろうが、
続々とこれからも続くだろう不祥事のリストはそう思ったとしても消えはしない。
TBS人であることは現代の不可触賎民になってしまった。
いくら高給を食もうとも、いくら政治家の子弟を受け入れコネクションを誇ろうとも、
縫い付けられた腐臭は消えることはない。
他の日本の民放と比較して、TBSが独特なのは、それが独特な点にある。
TBSは独立しているとも、孤立しているとも言える。
多業種にまたがるマスメディア帝国の存在が、国民の知る権利にとって脅威となる以上、
TBSの独立性は決して厭うべきものではない。
しかしそれは同時に人材の交流を難しくし、
放送免許によって守られた寡占市場の中で、
驕り高ぶった内部の論理のみでTBSが動きがちであることも意味してしまった。
そのような砂上の楼閣であろうとも、なかなかこの砂は強固だ。
TBSの数々の非道が放送免許剥奪に値するとしても、
現に放送権力を持つ組織に対して真っ向から敵としたい政治家はいない。
国民の声が強くなれば様相はまた違うだろうが、
当面、そこまで問題意識を持つ人も少ない。
テレビ自体が駆逐される日が来ないとはいいきれないが、
まだぼんやりとしたその果てまで、しばらくはTBSは享楽の日々を楽しむだろう。
だが、盛者必滅は歴史の理である。
永遠に続くかのように思われた栄華もまさしく一瞬で滅びる。
歴史家が好意的に書くだろうとは期待できない。